今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

雪の大晦日

2020 12 31 (art20-0303)
2020年の最後の日となりました。記憶に残る日となるでしょう。ドカ雪です。あきれる程の積雪です。歳を重ねた庭の樹木が雪に押しつぶされそうでしたから、朝食前に庭に出て、雪を払ってやりました。

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さて、今年は、記事番号199から303まで105の記事 (art20-199 ~ 303) をHPにアップしました。ほぼ、一週間に2つのペースです。

私的な重大事を三つ選んでみました。
(1)子供(娘と息子)が結婚し家庭をもったこと。
子供達は大学から家を出て遠くで生活していました。一人で暮らしていると思えばいろいろ心配になりましたが、2人で暮らすようになり随分気が楽になりました。特に、新型コロナウイルス感染症の渦中にあっては。

(2)昨年末に罹った肺血栓塞栓症から復帰したこと。
退院後続けていた長期間の服薬にピリオドをうつことができました。日常の生活や趣味の家庭菜園や木工工作ができる程に快復しました。

(3)3年目の夏野菜と果樹の栽培がぼぼ期待通りであったこと。
トマト、ナス、キュウリ、ピーマン、パプリカの恵みを享受できました。同じ場所で3回目の栽培を行ったのですが、目立った連作障害はみられず、おおむねよく育ち実ってくれました。ただし、斑点細菌病によるキュウリの収穫の減量は予想外でした。一方、柿、イチジク、そしてプルーン、いずれも、沢山実をつけてくれました。干し柿、イチジクジャム、そしてプルーンジャムを作り、今でも味わっています。

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強く噛み過ぎて歯根を痛める

2020 12 28 (art20-0302)
今年もあと数日です。天気予報では明後日 (30日) から雪になるとか、困ったものです。大晦日も間近かになり、このまま何事もなく新年を迎えるつもりでしたが、雪予報もさることながら、我が身にもちょっとしたことが起こりました。

先日、家内とふかし芋を食べていた時、「ガキ」と口元から音がしました。家内にも聞こえたようで、「どうしたの」と問いますから、ちょっと間をおいて、「歯と歯がぶつかったようだ」と言いました。ふかし芋に石でも混じっていたのかと思い、異物の正体を探ろうと数回咀嚼しましたが何もみつかりませんでしたので、上下の歯がぶつかって発生した音と判断しました。かなり大きな音でしたから、よっぽど強く噛んだのでしょう。口に含んでいたものが芋ですから、強く噛む必要はない筈ですが、どうしたことか、強く噛み過ぎて歯に歯をぶつけてしまったようです。

食べ物を噛む時、上下の歯は接触することはなく、1-2mm程度あいていると言われていますから、上下の歯がぶつかって音を立てることはない筈です。更に、食べ物の硬さによって、噛む力(咀嚼力や下顎運動)はコントロールされています。これは、噛んでいる時の口腔感覚(歯根膜感覚や閉口筋筋感覚)からの情報を脳幹が受け取って、口腔領域の筋に指令を送ることで行います。大脳皮質を介しませんから、無意識のうちに噛む力の調節が行われていることになります。ふかし芋は柔らかいので、強く噛めとの指令は送らない筈です。

ストレスや緊張した時など、上下の歯を密着させることが知られています。こうすることによって、思考や運動の能力を上げることができます。しかし、凡夫の場合は、ストレスと言うより、ふかし芋を食べていた時に、いっとき何かに気をとられて、大脳皮質から何らかの命令が出て、脳幹への伝達(柔らかい食べ物であること)、あるいは、脳幹からの指令(軽く噛むこと)が乱れ、誤って、噛む力が増強されたのでしょう。
いずれにしろ、歯根には相当な衝撃だったようで、数日、上下の歯が浮いたような感覚にとらわれました。その後、ぶつけた上下の歯だけに違和感と歯茎の腫れが残り、口元に触れると痛みがあります。出来るだけ、その歯を使わないように食事をしていますが、側切歯だけに不便でしょうがありません。

今回の出来事が老化と関係しているのか分かりません。以前のブログに、年をとることによっておこる心身の変化として【鴨居に頭をぶつけること】(art20-0280) と、【工具を置き忘れること】 (art20-0281) を取り上げました。その変化のリストに、今回の出来事を加えるべきかどうか。おそらく、判断の一つは、繰り返し起こるかどうかだと思いますから、近々に、もう一度、同じようなことが起こったときにリストに加えるとして、今回は保留にしておきましょう。

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畑の様子(12月中旬の大雪)

2020 12 24 (art20-0301)
冬至を過ぎたので、これから日が少しずつ長くなります。と言っても、冬本番はこれからですが。例年正月前後に雪になりますが、今年は、早くも先日ドカ雪に見舞われました。
ダイコンとカブ、共に雪にすっぽり覆われたのですが、その後の降雨と好天で雪がとけ、埋まっていた茎葉が現れています。冬の野菜らしく、ダイコンの茎葉は生き生きとしています。カブは雪の重さで押しつぶされて、ぺしゃんこになっていますが、そのうち立ち上がってくるだろうと思います。(このHPをアップしたら、畑に出かけてビニールシートをかけてやります)

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一方、夏野菜の方は悲惨な状態です。ナスは全滅です。凍死で、葉が縮んで黒灰色に変わっています。ピーマンは多くの葉が縮れ、実が随分傷んでいます。パプリカの葉も一部傷んでいます。パプリカの幼果はピーマン同様に傷んでいますが、幸いなことに、大きくなりきった果実はぼぼ無事でした。

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雪に覆われた地面の温度は0℃より下がらないので、その中の作物は凍結しないことはよく知られています。ダイコンとカブ、共に雪にすっぽり覆われていましたから (最下段の画像) 、凍結をのがれたのでしょう。

一方、ダイコンやカブ、ホウレンソウなどの冬野菜は耐凍性メカニズムをもっていますから、ちょっとやそっとの雪や低温では凍結しません。『ダイコンは雪が降ってからの方が甘くなる』と言われていますが、これは、耐凍性メカニズムの一つで、細胞内に糖類、アミノ酸やタンパク質が蓄積するからです。

真水は0℃で凍ります。この水に塩や砂糖などの溶質をとかすと0℃で凍らなくなります。海水は塩分濃度が3.4%ですが、-1.8℃で凍り始めると言われています。塩分濃度が15, 16%の醤油は、-20℃でシャーベット状になり -60℃で氷状になると言われています。塩分濃度が15, 16%の塩水は -12℃で凍ります。醤油が-12℃では凍らず、もっと低い温度の -60℃で凍る理由は、醤油には塩分以外の物質、アミノ酸、ブドウ糖、乳酸など、が沢山溶けているためです。

冬野菜は、冬が近づき寒い日が続くと、低温(2-4℃)に感応して糖類、アミノ酸、タンパク質を細胞に蓄積するようになります。これらの細胞に蓄えられた物質は、細胞が凍ることを防ぐことになります。謂わば、冬支度です。十分な冬支度をすませた野菜は、そのまま畑に放って置けます。ただし、乾燥には留意が必要ですが。
そして、冬支度を済ませたダイコンは、格別の旨さを食卓に添えます。

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冬の閉じこもり

2020 12 21 (art20-0300)
先日降った雪が残っています。2日間降り続いた雪が雨や霙に変わり数日がたちます。外が明るくなってきましたから雨が上がりそうです。この間、家の前の道路の雪は随分解けたのですが、屋根から落ちた雪がつくった庭先の雪塊は、幾分小さくなりましたが、まだ、しっかりと元の形状を残しています。

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この季節、寒いのは家の外だけでなく内もです。古い家なので、玄関の土間に続く上がり口が、ホールを介して外廊下(縁側廊下)と内廊下に続いています。玄関の土間へ入り込んだ冷気を遮るもの(戸)がなく、冷気が家屋の内部に侵入します。その為、暖房の効いた部屋から廊下に出ると、非常に寒く感じます。
昨年は、家内が工夫して、玄関の上がり口のホールの内廊下側にカーテン(正確には、古い毛布)を天井からつるし、冷気の侵入を防ぎました。このところの寒さにせかされて、今年もカーテンを張りました。といっても、冷気の侵入を防ぐだけですから、内廊下が温かくなる訳ではなく、部屋から出る場合は、さっさと用事(トイレや手洗い)を済ませます。

寒さに負けて、終日、暖房の効いた部屋に閉じこもっています。もっぱら、本を読んで過ごしていますが、時折、TVのスイッチを入れ、チャンネルを韓ドラか華流ドラマ番組に合わせます。日本ドラマより韓国か中国系のドラマを観るようになりました。日本のドラマを観なくなった理由は、ストーリーが単純なので先が読めること、出演者が役に合っていないこと、どろどろとした生臭さがないこと、リアル感や緊迫感がないこと、台詞の重みが無くなったこと、などで、挙げればきりがありません。
最近、目立ってきたのは、へんてこなキャスティング(配役)です。まず脚本があり、オーディション等で演技力があり、登場人物の役柄に相応しい人を選ぶだけだと思うのですが、そう単純なものではないのでしょう。プロダクションやスポンサーあってのドラマでしょうから、そこからの意向を無視することができず、制作者は、役柄に相応しくない、ヘタなタレントや俳優?を使うことを余儀なくされるのでしょう。その結果、ドラマ全体をダメにしてしまう。ドラマがダメになっても、プロダクションやスポンサーがご満悦であれば、次があるでしょうから、それでよしとしているのでしょう。

韓ドラや華流ドラマには、まだ、日本ドラマに無くなったものが残っていますから、観賞に耐えます。複数の事件が複雑に絡んでストーリーが進行しますから、進展を予想する楽しみもあります。また、月—金の5日連続で放映していますから、生活のリズム作りに役立ちます。

かくして、しばらくの間、閉じこもり生活です。

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本「スマホ脳」(その2)

2020 12 17 (art20-0299)
雪が降りました。それも、大雪で、一晩で結構積もりました。スコップを持ち出し、雪かきに精を出しました。寒さも半端でなく、暖房の効いた部屋に閉じこもっています。ガラス窓からの冷気を防ぐため、厚手のカーテンを追加しました。

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さて、前回に続いて、スマホの話です。
多くの人がスマホを手元に置いて、四六時中ちょこちょこ見たり弄ったりしているようですが、この種の行為の心身への影響、特に子供や若い人への影響が気になります。ところで、8月10日は “かっぱえびせんの日” だそうです。められないまらないです。この歳になっても、時々、カルビーのかっぱえびせんが食べたくなり、買い出しに出かける家内に一袋頼みます。そして、菓子皿に盛って、家内と競うようにバリバリ食べます。かっぱえびせんの場合は、一袋食べると満足してもういいやとなります。しかし、スマホの場合は、もうやめとこうとはならず、本当に、“やめられないとまらない” 状態になるそうです。

スマホには、報酬系を活性化させて、スマホづけにするという “特技” があります。スマホを見たり弄りたいという衝動を制御する能力があれば問題はないのですが、いかんせん、子供や若い人にはこの制御能力が未発達だそうで、スマホの特技に抵抗できず、手が伸びてしまいます。

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精神科医ハンセン氏の著書『スマホ脳』には、スマホの悪影響がいろいろ語られています。いくつか、凡夫の理解の及ぶ範囲で書き留めておきます。

何かの作業をやりながら、スマホを見たり弄ったりしていると、やっていることに集中できなくなるそうです。人は、同時に複数の作業を行います(マルチタスク)が、これは、同時に複数の作業を処理しているのではなく、作業ごとに脳領域を割り振り、作業から作業へ頻繁に切り替えることで処理しているそうです。そのため、切り替えに時間がかかり、また、切り替え前の作業に意識が残ったり(注意残余)して、それぞれの作業に集中することができなくなります。作業記憶も低下するようで、効率が上がらず、生産性が低下することになる、とか。

作業をやりながらスマホを見たり弄ることはよくないのは分かりますが、スマホづけの影響はもっと奥深いようです。集中力と記憶力に関し、面白い調査結果が紹介されています。スマホを教室の外に置いた学生とサイレントモードにしてポケットにしまった学生の記憶力と集中力を比較したところ、スマホを教室の外に置いた学生のほうが、よい成績を出したそうです。この実験報告書のタイトルは「脳は弱る、スマートフォンの存在が僅かにでもあれば、認知能力の容量が減る」だった、とか。

自制心は、報酬を先延ばしにする能力、つまり、将来もっと大きな報酬をもらうために直近の小さな報酬をもらうことを我慢する能力といえます。スマホづけになると、自制心が低下し、上達に時間のかかるようなことを学べなくなるそうです。すぐに上達しなければ止めてしまう、とか。

夜中でもスマホを弄ることになると、当然、睡眠時間が短くなります。寝ている間に、記憶の固定化(短期記憶から長期記憶への移行)が行われると言われているそうで、睡眠時間の減少は記憶の固定化に支障をもたらすことになる、とか。

依存症とは、自分に害を及ぼすとわかっていても何度もくりかえしていまう症状だそうです。平均して10分に一度スマホを手に取ったり、弄っている状態は、もはやスマホ依存症と言ってよいのかもしれません。スマホを取り上げるとどうなるかを調べようとしたそうですが、実験を中断せざるを得なかったようです。その理由は、被験者の半数以上が禁断症状を示したからだ、とか。

いくつかの悪影響を書き留めてきましたが、この本には詳細なデータが添付されていませんので、影響の程度を判断することができません。学術書籍ではありませんから仕方ないのですが、ただ、都合のよい調査結果だけをざっくりと論述?したような印象を受けます。悪く言えば、週刊誌的な書き方です。多くの人は、その種のものを好みますからベストセラーになるのも肯けます。
IT企業のトップ、例えば、スティーブ・ジョブスやビル・ゲイツなどが、子供にスマホを持たせていないか、使用を制限していたことは、周知の事実ですから、スマホには何かがあるのでしょう。スマホを持ったことのない凡夫には、残念ならがら、その何かが分かりません。アップル社からiPhoneが発売されたのが2007年ですから、まだ、十数年しかたっていません。おそらく、数十年後に、その何かが誰の目にも明らかになるでしょう。悪いことでなければよいのですが。

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本「スマホ脳」

2020 12 14 (art20-0298)
外はどんよりとした空模様で、雨が降っています。寒気が増し、明日には降雪とか。山間部だけだと思いますが、平地部はどうでしょうかな。とりあえず、一昨日、車のタイヤをスタッドレスに交換しておきました。

さて、スマホの話です。
携帯電話が登場して数年後、電車やバスの中で、携帯電話で通話している人や画面に見入っている人の多さに驚いたことがあります。何をそんなに話したり見ることががあるのだろうと。当時は、まだ、中高年者は、携帯電話を所持している人が少なかったようで、電車やバスでの風景は、もっぱら、若い人によるものでした。ところが、スマホが登場して様相は一変しました。老若男女、多くの人がスマホを持つようになり、所かまわず、しょっちゅうスマホをいじっています。

凡夫は、緊急時の連絡用として、ガラケイと呼ばれる携帯電話を所持してきました。しかし、急を要する電話やメールなどそうあるものではありませんから、凡夫の携帯電話に着信音が鳴ることはほとんどありません。また、こちから急いで連絡するような事態も、そうそう起こりません。こういったふうで、携帯電話をいじる機会が余りありませんので、今でも、メール文字を10個以上入力するとなると大変な作業となります。

そんな使い方をしている凡夫の目には、スマホを手にして、しょっちゅういじっている行為が奇妙に映ります。何をそんなにいじることがあるのだろうかと思います。また、多くの人が、何か、例えば、読書や食事をしながら、そばに置いているスマホの画面をみては、スマホを手に取り、ちょこちょこといじってはもとに戻し、しばらくすると、また、手に取ってちょこちょこといじっています。これを、読書や食事の間中、繰り返しています。凡夫には、読書や食事を中断してまでスマホをいじる行為、そして、その行為の存立が分かりません。そこに緊急性があるとは思えません。

スマホの世界には、スマホをしょっちゅういじりたくなるような何かがあるのだろうと思いますが、スマホを持たない凡夫には分かりません。しかし、誰かとの会話中も、スマホを手にして、ちょこちょこいじっているのですから、恐らく、トイレでも、床の中でも、いじっているのでしょう。どうして、所かまわずスマホをいじっているのでしょうか。

先日、倉吉の今井書店に出かけた時、”世界的ベストセラー上陸!---スティーブ・ジョブズは我が子になぜiPadを触らせなかったのか?”との帯のついた『スマホ脳』なる新潮新書本 (2020年刊) が目にとまりました。スマホの疑問を解くヒントがありそうでしたので購入し読んでみました。著者は、スウェーデンの精神科医のアンデシュ・ハンセン (Anders Hansen) です。

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「私たちは、一日に2,600回以上スマホを触り、平均して10分に一度スマホを手に取っている」とあります。凡夫には、これはもう病気としか言いようがないのですが、ハンセン氏は、この行為を、人間の進化と関連させて解いています。なかなか面白いのですが、断片的な論説や飛躍が多く、ついていけないところがあります。また、脳内物質の話は、既にどこかで論及されているものです。

凡夫が理解したところでは、「我々の脳のメカニズムは、進化することなく、狩猟時代のままであり、今日のデジタル社会に適合していない」とのこと。そうであるとすれば、スマホをいじる行為は、狩猟時代の生き残り行為との相似性から説明できることになります。しかし、著者の論理展開がストレートでないため、具体的にどのように説明されるのか、を読解するのは難儀です。

周囲の環境を理解するほど、生き延びられる可能性が高まるので、新しい情報を探そうとする本能をもつ。これの脳内物質はドーパミンである。新しいことを学ぶと脳はドーパミンを放出する。そして、新しい情報を得ると脳は報酬を貰える。それは「体内のモルヒネ」と呼ばれる脳内物質のエンドルフィンの作用であり、満足感や多幸感をもたらす。

この報酬システムを激しく作動させるのは、手中の物や事(お金や食料や、セックスや承認)ではなく、物や事を手に入れようとする時の期待感である。これは、かつては、生き延びるために、状況が不明なとき、じーとしているよりも、何かの行動をとるようにしむけること、行動の動機付けとして働く。

キャンブルの魅力は、あたるかもしれないといった期待感に動かされている。同じようにスマホをいじる行為も説明される。電話やメールの着信音が鳴ると、なにか大事なことかもしれないと期待し、スマホを手に取りたくなる。不確かな結果への偏愛である。今日では、SNS (social networking service),FB (facebook)、IG (instagram) が巧妙な仕組みで、際限なく、スマホをいじるように仕向けている。

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一方、我々人間は、生き延びる為に、周囲の危険に常に目を配り、小さなことでも「気をつけろ」と警報を鳴らすストレスシステムHAP(視床下部-下垂体-副腎)系をもつ。これはHAP系を作動させコルチゾールを分泌させることであるが、その作動は「火災報知器の原則」に従う、つまり、間違えて鳴らないよりは、鳴りすぎるほうがよいとする。

スマホを使い始めて、四六時中手の届くところに置いておくと、スマホが視界に入ったり着信音が聞えたりするだけで、コルチゾール値が上昇し、ストレス反応が起こる。この不快なストレスを解消すために、スマホをちょこちょこといじって、何かを発信したり見たりする。そうすると反応やその次が気になり新たなストレスを生み、コルチゾール値がさらに上昇し不安が増す。これを解消するためにスマホをいじりたい気持ちが高まり、ちょこちょこといじることになる。このサイクルが繰り返され、コルチゾール値が増々上昇し、スマホをしょっちゅういじるはめになる。
”かっぱえびせん” ではありませんが、やめられない止まらないです。この状態、心身によいとは思えないのですが。このあたりは、次回にでも。

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木べら(木工)

2020 12 10 (art20-0297)
調理用木べらを作りました。家内が長年使っていた木製のへらが、端の一部が欠け、具合が悪くなりましたので、新たに作ることにしました。

【作製】
2つ作りました。一つは、ヘラの形を古いへらと同じにしたもの、もう一つは、フライパンの円弧に合わせてへらの先端部の左側に曲線をもたせたもの。また、具材や汁気をすくい取ることができるように、へら部にすこし窪みを持たせました。
【材料】
厚さ1.2cm、幅6.5cm、長さ34cmの桧の平板2つ。
【工程】
1) 古いへらを平板にあて線を引いて、外形を写し取る。
2) 引き線に合わせてジグソーで切断する。ただし、柄部の直線の切断にはスライド丸鋸を用いる。
3) 柄部の表側をトリマーで削り、6mm厚とする。
4) へら部の表側を作里鉋で削り、曲面を出す。表側の曲面に合わせて、裏側も作里鉋で削り曲面とする。
5) サンダーを用いて、表面を滑らかにする。
6) 柄部の端にドリルで穴をあける。
7) 木屑をふき取り、エゴマ油を塗る。

平面の板を鉋で削り曲面を出しましたが、この時、幅の狭い作里鉋/クシ鉋を用いました。塗装油には、スーパーマーケットで手に入れた安価なエゴマ油を用いました。
使用した木材は、桧の余材です。やわらかい木ですから加工は容易です。曲面を出す練習にもってこいです。反面、使っているうちに、先端が摩耗していくものと思います。

作製した2本の木べら、家内がどちらを好むのか興味のあるところです。使用頻度の差は、先端部の摩耗で判定できるでしょう。

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【家内の寄稿】
鳥取友の会(お菓子作りの日)

2020 12 07 (art20-0296)
昨年までは鳥取友の会では「12月は友愛セール」でしたが、今年は新型コロナのため会員だけのセールにしようということになりました。焼き菓子係の私はどうしたもんじゃろの~と考え、予約販売という形にしました。予想以上の予約があり、どうなることかと不安になり、予約分が作れず困っている夢をみました。

お菓子作り当日に集まったのは5人。器具の準備、材料の計量、袋詰め、片付け、途中に昼ごはんタイム、とても合理的な働き方です。今までの働き方が受け継がれていました。ラムケーキ27本、コンコンブル400本を作りました。一緒に作業することは久しぶりで楽しい一日となりました。

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畑の様子(12月、2020年)

2020 12 03 (art20-0295)
もう12月です。寒くなるのもむべなるかなです。そのせいと言った訳ではありませんが、朝夕行っていた畑の見回り、この頃は夕方の1回だけです。寒くなると野菜に急激な変化は起こりません。急を要する事態もありませんから、一日に一回で間に合います。夕方5時頃に出かけていますが、半時間程ごそごそしていると、あたりが急激に暗くなります。

野菜区画では、夏野菜のナス、ピーマン、パプリカが残っています、また、冬野菜のダイコンとカブが育っています。
ナス
そろそろ終わりかなと思っています。葉に勢いがなくなり、実がなかなか肥大しません。一時、アブラムシが発生したので、茎葉ごと切り捨てました。随分頼りなげな姿をしていますが、それでも、あと数個は収穫できそうです。12月に自家製ナスを食べることができるとは、予想外のごちそうです。
ピーマン
まだ、沢山の実がついていますから、収穫はもう少し続きそうです。さすがに、成長は遅くなりました。それでも、週一回の間隔で数個のピーマンを収穫しています。ちょっと小型ですが。
パプリカ
沢山付いている大きな果実の一つが、緑色から黄色に変わりました。これを機に、次々と変色するのかと思いきや、その気配がありません。一方、赤く変色したパプリカは、ポツリポツリと収穫しています。

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ダイコン
おおむね順調です。そろそろ収穫できそうです。
カブ
2回目の種を薄く撒いたので、ポツポツと発芽し、今では、本葉が出ています。ところどころ虫食いがありますが、放っておくことにしました。ただ、子葉がでた頃の数日、ダイコンハムシの成虫を見つけては殺しました。ダイコンハムシは、1回目に播いたカブを全滅させた虫ですから警戒していました(art20-0286)。

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果樹区画では、柿、梅、イチジク、プルーン、キンカンの木が植わっています。キンカン以外の果樹は、日々葉を落としています。柿の木はすっかり葉を落としてしまいました。
柿の木
今年も、沢山の柿の実をつけてくれました。渋柿の "平核無" は370個、甘柿の "次郎" は80個、でした。丈が2-3mほどの小さな木ですが、3年連続して沢山の実を付けてくれました。頑張り過ぎたようで何となく消耗しているように見えます。「ご苦労さん」と声には出さないで言いながら、木の周りの草を刈り、堆肥を施し、その上に藁を敷いてやりました。

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