本「本心」
2022 1 31 (art22-0411)
平野啓一郎の本「本心」(文芸春秋、2021年刊)を読みました。
「母を作ってほしいんです」で始まるこの小説、数ページを読み、家内に「この小説、AIがでてきて、面白いかもしれない」と言いました。交通事故で母親を亡くした息子が、高性能のAIを備えた母親のバーチャルフィギャー (VF) を作り、ゴーグル越しの仮想空間で母親のVFと面会します。以前ブログで取り上げたカズオ・イシグロの『クララとお日さま』を思い起こしました (art21-0354)。そこでは、AI搭載の人型ロボットのクララが娘のジョジーに成りかわろうと学習したが、ジョジーの「心」を持つことはできなかった。AIの限界、逆に言えば、人間の「心」の奥深さを露わにしたと言えます。『本心』では、母親のVFが、どこまで母親の「心」を取り込むことができるものか、そして、クララを超えた先にみえてくるものを期待して、読み進めました。しかし、期待していたものではありませんでした。
主人公は、リアルアバターとして働く29歳の僕、石川朔也。カメラ付きのゴーグルを装着して、依頼者の指示に従って動き、アチコチ出かけたり、アレコレ代行する。依頼者はヘッドセットを通してカメラの画像を見ながら、リアルアバターを遠隔操作し、追体験する。謂わば、アバターロボットの人間版。こうした職業はありそうですが、実際のところはどうなのでしょうかな。
そんな主人公の朔也は、自分と関わりのある人の本心を理解しようともがいている。いずれも訳あり人である。亡くなった母親とかつて旅館でいっしょに働いたことのある三好彩花さん。三好さんは、セックスワーカーの過去をもちセックス恐怖症である。あることから朔也宅に居候することになる。有名なアバターデザイナー、イフィーこと鈴木流以。イフィーは、交通事故で下半身不随となり、豪華なマンションで車椅子生活をおくる青年。ひょんなことから朔也を知ったイフィーは、朔也を自分専属の社員として雇う。較差社会に義憤を感じて、要人の暗殺犯罪に手を染めて、警察に捕まった会社の同僚かつ友人の岸谷など。
加えて、亡くなった母親の本心。死ぬ時は朔也に看取ってほしいと言い、“自由死” を決意していた母親。その真意を明らかにすることなく、交通事故で死ぬ。母親の “自由死” の決意を受け入れることができない朔也は、人工知能 (AI) を備えた母親の VF (バーチャルフィギャー) の作成をフィディテクス社に依頼する。母親のVFは、かき集めた資料や生身の人との会話を通して学習を繰り返し、母親に近づいていく。朔也は、仮想空間で、架空の母親のVFに会い、母親の決意の真意を探ろうとする。
しかし、母親の本心にたどりつけない。母親のVFは、学習を積んでいけば、さらに母親らしくなり、受け答えも自然になるであろうが、それにも限界がある。母親と言えども、しょせんは他者であり、自分の知り得ることは、母親のほんの一面に過ぎない。自分の知らない所で、多くの人と出会い、多くの経験をしてきているのだから。結局のところ、“学習” させた母親のVFは本当の母親になることはない、とすれば、母親のVFから母親の決意の真意を聞き出すことはできない。朔也は「母」との関係を終わらせる時がきたことを悟る。
同じように、三好さんの、イフィーの、そして、岸谷の本心は分からない。分かったつもりになっても、本当のところは分からない。分かったと思えるのは、自分に内在する概念によるものでしかなく、自己に投影されたほんの一面での理解でしかない。
だが、しかし、と続ける。
他者を理解しようともがく行為そのものが、他者と関わることであるのだから、もがくしかない。そして、全てが投影されていなくても、相手の心の中に反応を起こすことはできるかもしれない。三好さんの、イフィーの、そして、岸谷の心の中に。自分との関わりが、そうした内なる心の反応を起こすことができれば意味を持つ。完全な理解に到達しないことに失意してもなおそうした反応を欲している自分に気づく。
朔也は、前向きの歩みを始める。
さて、母親のVFにも、内なる反応を起こしうるものかどうか。このあたりの話、VFの「心」、を期待していたのですが、素通りしていました。残念です。
金魚(3)
2022 1 27 (art22-0410)
2019年 4月のブログ (金魚2) に、大型水槽 (60 x 30 cm) で8匹の金魚を飼っていると書きました。出目金1匹と和金7匹。出目金は京都の祇園祭の時、露店の “金魚すくい” で手に入れたものです。和金は、京都に転居した際、横浜から連れて来た金魚が産んだ卵から育てたものです。
その後、出目金が死に、和金も4匹死んでしまいました。残った3匹の和金が、中型水槽 (40 x 26 cm) で泳いでいます。
先日、金魚に水カビ病(綿かぶり病)が発生しました。尾びれや胸びれ、鰓や口元に、白い綿状のものが付着していました。これは、常在性の糸状菌によるもので、金魚が元気であれば寄生して増えることはないのですが、水槽の水質が悪化し、金魚が体調を崩して抵抗力が弱まると寄生し繁殖します。この糸状菌は低温で発生しやすいと言われています。
早速、定番の処置、0.5%の食塩水を作り、金魚を移しました。そうした塩水浴を2日間行うと回復するものですが、今回は、一番小型の1匹が、回復しません。水槽の底に横になって沈んでいます。回復し元気になった2匹を別の水槽に移し、塩水を新しく作り直して、塩水浴を継続しました。しかし、翌日も、底に沈んだまま動きません。もうだめかと思い、庭の一画に穴を掘り、土葬の準備をしました。小型とはいえ、随分大きく生長していますから。庭木の根をさけて、それなりの大きさの穴を掘るのは厄介です。どうにか、穴をあけ、屋根瓦をかぶせて、準備OKです。
さて、翌朝、埋めてやろうと水槽を覗くと、時折、動いています。少し動いては横になります。しばらくして、また動きます。これには、驚きました。死んでいるものと思っていましたから。数日後、立位を保てるようになりました。
いまでは、3匹とも、元気に泳いでいます。餌をあげようと水槽に近づくと、寄ってきます。金魚の餌は、テトラゴールドベーシック「金魚のビタミン強化基本食」です。これだけで、何年も生きているのですから、よっぽど、栄養バランスがよいのでしょう。
キンカン
2022 1 24 (art22-0409)
畑にキンカンの木が一本あります。3年前に、ホームセンターで購入した苗を、畑の東端、カキの木とウメの木の間に植えたものです。まだ、小さな木です。それでも、十数個の果実を付けてくれました。遅い着果のせいか、いつまでも緑色の果実でしたが、ようやく少し黄色みがかってきました。早速、食べてみることにして数個持ち帰りました。試食者は家内です。家内はキンカン大好き人間です。その家内が口に入れてもぐもぐしていましたが、「皮が堅い、甘味が少ない」と微妙な顔で言います。どうやら、美味しくなかったようです。
生で食べるには、熟度が足りないのでしょう。果皮全体が黄橙色に変わるまで待つことにします。ただ、あと1ヶ月は厳しい寒さが続きますから、凍傷対策が必要になるかもしれません。キンカンの果実は 気温が-3℃以下になると凍ると言われています。果実が凍ると、果肉が破壊されてぶよぶよになってしまうそうです。頃合いをみて、寒冷紗を掛けようと思います。
本「職務質問」
2022 1 20 (art22-0408)
職務質問とは、街頭などで、制服の警察官に声を掛けられて、アレコレ質問されることです。世の中には、職務質問を経験した人もいれば、経験したことのない人もいます。そして、「何度も声を掛けられるタイプの人間と、1度も声をかけられないタイプの人間がいる」ようです。凡夫は、これまでに3度、職務質問を受けていますが、家内は、1度もありません。凡夫の3度の職務質問は、1度目は横浜、2度目は京都、3度目は湯梨浜町です。所変わっても声を掛けられましたから、凡夫は、どうやら、何度も声を掛けられるタイプの人間のようです。警察官がどのような人に声を掛けるかは、全国共通の決まりごと、判断基準があることになります。どのような人に声をかけているのでしょうか。
古野まほろ著の「職務質問」(新潮新書、2021年刊)を読んでみました。著者は、元警察官で警察庁の職務質問担当課で勤務したことがある作家です。
職務質問の法的根拠は、条文(明文)としては1つ(警察官職務執行法第2条)のみだそうです。しかし、裁判所の解釈が判例法として拘束力をもちますから、事細かい取り決めがあると言えます。
さて、その警職法第2条には、【警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知っていると認められる者を停止させて質問することができる】とあります。
職務質問の対象者は、
1.異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者。
2.既に行われた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知っていると認められる者、となります。
1は不審者、2は参考人、と通称されています。
凡夫のような者が職務質問を受ける理由は、不審者と判断されたことになります。それでは、なぜ不審者と判断されたのでしょうか。不審性は、(異常な挙動)と(周囲の事情)の掛け算から導きだされるものだそうです。ここでの異常な挙動とは、言語・動作・態度・着衣・携行品等が、通常ではなく、怪しい、不自然と思われることであり、周囲の事情とは、時間・場所・環境等です。
要するに、『どこか違う』、『いつもと違う』、『普段と違う』といった違和感です。しかし、警察官は、何らかの違和感を感知したら直ちに職務質問を行うと言ったものではなく、その違和感が、客観的、合理的なものであるかどうか、不審性として裁判所が納得するレベルのものであるかどうか検分するそうです。説明できるレベルの不審性があると判断できて、初めて、警察官は職務質問を行います。もっとも、この検分は経験知のなせる業で、一瞬なのですが。
3度職務質問を受けた凡夫は、どこかが違うのでしょう。残念ながら、本人にはどこが違うのか分かりません。
巷では、職務質問を受ける不審者の特徴などが囁かれています。曰く、ちぐはぐな服装や季節感のない服装、季節に合わない発汗、真夜中に歩いている、大きなバックをもっているなど。しかし、これらは、一般化できるものではないそうです。警察官は不審性を(異常な挙動)x(周囲の事情)で判断していますから、個々の特徴に注目している訳ではなく状況で判断していますから。同時に、その不審性の合理性をも検分しています。
凡夫のどこにそのような不審性を看取したのか、可能ならば、説明してもらいたいものです。
ところで、職務質問を受けた場合、アレコレ抗うのは、無駄なことになります。なぜならば、職務質問を行おうとした警察官は、不審者としての判断について、万全の下準備を済ませていることになりますから。職務質問を開始した警察官は、嫌疑ありとして検挙するか、嫌疑なしとしてご協力感謝します・さようなら、のどちかしかないので、嫌疑の有無を判定するまで、職務質問を諦めることはないそうです。
そうであれば、職務質問を受けた時、アレコレ抗っても埒があかないことになります。全面協力してサッサと済ませ、ご協力感謝します・さようなら、と言わせることがベストの対応のようです。もっとも、何か疚しいことがある場合は、そうもいかないでしょうが。
本「植物忌」
2022 1 17 (art22-0407)
久しぶりに本屋に行きました。田舎の本屋には、都会の本屋(ジュンク堂、紀伊国屋、丸善)のように多種多様な人が利用している訳ではありませんから、おもに、売れ筋の本が並ぶことになります。そのため、どの本屋を廻っても、同じ本を見かけます。
そんな田舎の本屋で、タイトルに興味を引かれて1冊の本を購入しました。星野智幸の「植物忌」(朝日出版、2021年刊)です。10の短編からなります。
植物と人間が融合したり、人間が植物に身体を乗っ取られたりと、読んでいてとても変な感覚に陥る本です。この感覚は、学術上の植物と人間の隔たりを度外視して話が展開することへの違和感から生じているようです。ついていけないなーと辟易しながら、同時に、この先どうなるのだろうと興味津津で、読み続けることになります。
植物転換手術を受けて、"植物人間" になろうとした“ホシノ”氏。"植物人間" は、植物特有の能力を生体工学技術を用いて組み込むことによって、全身のあらゆる部位が自己再生可能になる人体です。しかし、”ホシノ” 氏は、転換手術による人体改造に失敗し、人体の一部を取り込んだ植物、"人間植物"、になってしまう。("ぜんまいどおし" より)
桜が満開状態の近所の空き地へでかけた蜜也と私。大勢の人の声が聞こえる。その声は、桜の花びらが震えて発する声であり、無数の花のおしゃべりである。大勢の人に取りかもまれているようで居心地が良くなった2人は、花びらを舞い上げて遊んでいると蜜也の姿が無くなる。翌日、空き地へ行ってみると小さな桜の株が目に留まる。桜化した蜜矢の姿であった。拡げた両腕と足元は桜の木と一体化している。うなだれた首の先に、蜜也の顔がある。
そのうち、顔が膨れてピンク色の巨大な玉となり、ぽんと弾けて花が開く。そして、花びらが落ちると実が付く。実は完熟して黄金色になる。食べてみると甘く、メロンとモモとマンゴーを合わせてような味がする。実を食べ尽くし、実の中にあった種も呑み込んでしまう。数日後、私の体から、桜が芽吹く。脇の下や首の付け根、足の指の間、肘の内側などから、緑の芽が出ている。そのうち、根がでてくるのだろう。いつの日か、私も、どこかへ出かけて、そこで、根付くことになるのだろう。そして、地球上の人間がすべて桜の木に変わる日をまつことになる。(”桜源郷” より)
ウメシロカイガラムシ
2022 1 13 (art22-0406)
畑の東側に、プルーン、カキ、ウメ、イチジクなどの果樹を植えています。冬期は生長が停止していますから、樹形を整える剪定を行います。数年後の姿を想定して、不要な枝を伐り取るのですが、経験不足のため、伐るべき枝の選定が至当にできません。大胆な剪定を心がけてはいるのですが、浅めの剪定に留まり、春から夏の新梢が伸長する時期に、困り果てることになります。
今年こそは深い剪定をやろうと、畑に出てみると、ウメの枝一面が、2,3mm大の円形の白い斑点で覆われています。この時期、葉が落ちて、枝に付いた白い斑点がめだちます。ウメシロカイガラムシの雌成虫の介殻です。越冬中の雌成虫は、既に受精していると言われていますから、春になると介殻の下で産卵を始めます。5月に第1世代の幼虫が孵化し、7月に第2世代の、9月に第3世代の幼虫が発生することになります。
枝が白く見える程、カイガラムシがとりついていると、ウメの生長が阻害されるそうです。生育阻害云々よりも、見た目がよいものでありませんから、取り除くことにしました。ただ、この時期に、薬剤を散布しても、効果が期待できませんから、物理的駆除、剥ぎ落すことにしました。Web情報では、歯ブラシやたわしを使うと効果的だと推奨しています。やってみましたが、強固に付着しているため、取り除けませんでした。金属製のブラシであれば、何とかなりそうですが、樹皮を痛めてしまいしそうで使えません。代用品として、竹べらを使ってみました。こするように動かすと、カイガラムシが剥がれ落ちます。手間のかかる作業でしたが、時間をかけて、カイガラムシを取り除きました。
【家内の寄稿】
ヘチマ
2022 1 10 (art22-0405)
わが家では台所の食器洗いとお風呂の掃除にヘチマたわしを使っています。ヘチマは昨年、婦人之友(2020年6月号)を参考に種から育てたものです。地植えの他にプランターでも育て、裏庭にたくさんのヘチマができました。プラスチック製品を減らすために出来ることはないかと考え、挑戦したヘチマ作りでした。
苗ポット育ちのダイコンの収穫
2022 1 7 (art22-0404)
このところ、頂きもののダイコンを食べていましたが、底をつきましたので、畑で栽培しているダイコンを収穫しました。このダイコンは、苗ポットで1ヶ月程育てた後、畑に移植したものです。ダイコンの苗栽培はできないと言われいます。確かに、ダイコン苗はホームセンターで販売されていません。理由は、主根が伸長して苗ポットの底につくと折れ曲がり捻じれてしまうからです。そこで、ロングサイズの苗ポットを調達して、種を播き、1ヶ月程育てました。そして、昨年の10月下旬に、畑に移植しました (art21-0383)。
畑のダイコンは、移植後順調に育ちました。昨年末のデカ雪ですっぽり雪の中に埋もれてしまいました。雪を掻き除き、現れてきたダイコンを引き抜きました。サイズは小ぶりですが、先端部が捻じ曲がることもなく、まっすぐに伸びたダイコンでした。ただ、下方に太い側根が多く、茎と根の境界あたりから、脇根が出ています。これは、ポット苗育ちのダイコンの特徴かもしれません。この点は、収穫を進めていけば、はっきりすると思います。
食感、食味とも、問題ありませんでしたので、少なくとも、1ヶ月程は、ダイコンを苗ポットで育てることができることが分かりました。夏野菜から冬野菜への転換に、すこし、猶予期間を設けることが出来ます。夏野菜をぎりぎりまで育てた場所でダイコンを育てたい場合には、有効な手段の一つになりそうです。
正月
2022 1 4 (art22-0403)
先ほど、お寺の住職さんが、年始の挨拶廻りに来られました。三和土に立って、仏壇へ向かって拝むだけの簡単なものです。それでも、ここの集落だけでも100以上の檀家がありますから、全てを廻るのは大変です。幸い、昨朝は寒かったのですが、今朝は幾分和らいでいます。
お寺の挨拶廻りが、正月から日常生活への切り替えになります。今年の正月は、里帰り出産で帰省し昨年末に男の子を生んだ娘とその赤子と家内の4人で過ごしました。4人の生活がしばらく続いていますから、今年の正月はメリハリのないものでした。これはこれでよいものです。例年のことですが、TV放送の箱根駅伝がつけっぱなし状態になり、特に応援する大学は無いのですが、ついつい観てしまいます。家内が作ったおせち料理を食べました。今年は、自家製のクワイが加わりました。
ところで、年末のデカ雪の後遺症が残っています。雪かきをやり過ぎたようで、右肩が痛くて、右手があがりません。困ったものです。作業を連日行ったことがよくなかったようです。普段体を動かしていると思っているのですが、雪かき作業後に痛みを伴うほど筋肉の張れが残るようでは、思っているほど体を動かしていないのでしょう。
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