本『リンゴが教えてくれたこと』
2021 9 30 (art21-0376)
先日、本棚を自作し、新書を並べました。その時、近いうちにもう一度読んでみようと何冊かの新書を抜き出しました。その中の一冊が、木村秋則著の『リンゴが教えてくれたこと』(日経出版社、2009年刊)です。一度は目を通している筈ですが、ほとんど記憶がありません。リンゴ農家の栽培体験談ですから、この数年、畑で野菜や果樹を栽培してる今の凡夫にとって身近な話であり、この度は、それなりの関心をもって再読?しました。
木村秋則氏は、青森県の岩木町で、リンゴの自然栽培に成功した人です。10年近い試行錯誤の末、完全無農薬、無肥料のリンゴ栽培に成功しました。
成功のきっかけは、岩木山の中腹で、偶然出会ったリンゴの木だそうです。長い間人の手が入らない、放置された畑に植わっていたリンゴの木ですが、病害虫の被害もなく、見事な枝を張り、葉を茂らせていたそうです。自然の中では、そこの育つ樹木と同様に、リンゴの木がほとんど病気や害虫の被害にあうこともなく生育していることから、自然の生育環境を真似てやれば、リンゴも無農薬、無肥料で栽培できるだろうと考えたそうです。リンゴの木が植わっている土は、ふかふかで柔らかく湿り気のある土だったそうです。まさに山の土です。リンゴ畑の土をこのような土にするため、土の改良に取り組んだそうです。
広く行われている栽培方法である慣行栽培は、農薬を使い、肥料も使います。これに対し、自然栽培は、農薬を使わず、肥料も使いません。しかし、耕耘と草取りは行います。一方、無農薬、無肥料に加えて、無耕耘、無除草でおこなう栽培方法は、自然農法とか自然農(両者の間には、ちょっとした差があります)と呼ばれています。これは種を播くだけで、後は何もしない栽培方法です。
まとめると、以下の表になります。
自然を頭につける栽培方法(自然栽培、自然農、自然農法)は農薬も肥料もつかいませんから、自然環境で育った作物のもつ防御力と自然が与える生産力に頼ることになります。どちらも、作物を育てる土の力に依存しますから、土造りがキーになります。これまで、慣行栽培でやってきた田畑を、自然の土の状態に戻すには、数年かかります。また、自然農(法)と異なり、自然栽培は、何もしない栽培方法ではありませんから、地べたに這いつくばって行うような作業が不可欠で、手間暇のかかる、ある意味大変な、栽培方法のようです。
自然栽培は、凡夫のような、すぐにも収穫して食べたい家庭菜園者には、縁の無い栽培方法です。ただ、作ったものを家族が食べるのですから、できるだけ、農薬を使わないようにすることは、いつも心がけています。また、肥料は有機肥料を使っていますから、凡夫の現行の栽培は、分類上、有機栽培に入るようです。
ところで、この本には、”キュウリのつるが人の指に巻き付くこと” と ”ダイコンが時計回りに回転すること” が紹介されています。キュウリのつるの方は知っていましたが、ダイコンが回転することは知りませんでした。今年もダイコンを作りますから、回転するかどうか、観察してみようと思います。
本棚(木工)
2021 9 27 (art21-0375)
新書版用の本棚を作成しました。
新書のサイズは、出版社によって多少異なりますが、ぼぼ、10.8 x 17.3 cmです。棚の奥行が 13cm 程あれば十分収納できますから、材料は、SPF (1 x 6, 6F) を用いることにしました。この板のサイズは14 x 182 x 1.9 cm です。1cm 角の背板を付けても、奥行き13cm とれます。本棚の内幅は 90cm とし、高さも 90cm としました。
できるだけ無駄を出さないように、簡単な作りにしました。
- 長さ 182cm のSPF板材を中央で切断して、91cm とする。両端を正確に直角になるように切り直し、90cm とする。これを7枚用意する。2枚は側板、5枚は棚板として使用する。
- 1段目の棚は、下方に 5cm の隙間をあけて取り付ける。
- 2, 3, 4, 5 段目の棚は、18.5cm の隙間をもうけて取り付ける。
- 各棚に1cm 角の長さ 90cm の背板を取り付ける。
- 紙やすりをかけて、オイルを塗る(2回)。完全に乾いた後、紙やすりをかけて仕上げる。
完成した本棚を縁側廊下の隅に置いて、棚に新書を並べました。残念ながら、4段の棚では収まらず、一部を上に置くことになりました。それでも、全ての新書が、ここに集合しました。
新書は多数の出版社から出ていますが、この本棚の新書で多いのは、岩波書店と新潮社の新書です。岩波新書が多いのは、かつて、新書と言えば岩波新書を指していたこともあり、本屋へ行くと、岩波新書が数多く平積みされていて目を引いたからでしょう。新潮新書が多い理由は、取り上げているテーマや内容もさることながら、文字が大きく行間隔も適切で、読みやさがあります。歳をとると、この読みやすさが、本を選ぶときの大きな要件となります。
野菜畑の様子(2021年、9・22)
2021 9 23 (art21-0374)
冬野菜のダイコンの種をどうにか撒きました。
例年、9月に入ると、夏野菜を処分して、耕耘と整地後、畝を立ててダイコンを撒いていました。今年は、夏野菜の栽培を継続しているため、別の場所、マクワウリとメロンを育てた一画に、小さな畝を立ててダイコンの種を播きました。発芽を促すためビニールシートを掛けました。3日後、芽が出て子葉が展開したところで、ビニールシートを外し虫よけのためにネットをかけました。白色のネットがありませんので、黒色の遮光ネットで代用しました。
さて、栽培を続けている夏野菜の状況です。
キュウリ(終了:豊作52 夏すずみ37 シャキット31)
豊作品種が残っていましたが、9月13日に2本の果実を収穫した後、処分しました。シャキット、夏すずみ、そして、豊作の順で、病弱になったのですが、これは日当たりの悪い順に対応しています。
ナス(千両 19 黒陽 23 加茂 6)
黒陽ナスは、青枯れ病から回復することなく終了しました。今、千両ナスと加茂ナスが残っています。千両ナスは、ひところ花が咲かなかったのですが、2週間程前から花を付け、着果するようになりました。今しばらく収穫できるでしょう。加茂ナスも幼果をいくつか付けています。
パプリカ(赤15 橙13 黄18)
緑色の果実を収穫してきましたが、そろそろ収穫をひかえて、パプリカ独特のカラフルな色をつけようと思います。
ミニトマト(千果 255 フルティカ 78 アイコ 226)
栽培を継続中です。夜蛾の吸汁害をさけるため、果実に赤色のネットをかけています。幼果が沢山付いていますから、天気次第ですが、しばらく、収穫できそうです。
トマト(桃太郎 A33 B32 C31)
桃太郎は終了しました。最後の果実の収穫は9月13日でした。小さめの果実でしたが、桃太郎らしい食感と甘味がありました。
ピーマン(エース33 京みどり 29 エース 39)
"いつまでも取れるピーマン" と言われるだけのことはあって、まだまだ、収穫できそうです。
インゲン豆(3株で 156)
ぼぼ、終わりです。
歯周病(2)
2021 9 20 (art21-0373)
歯周病が怖いのは、歯を支えている土台の歯槽骨が溶けることです。そうなると、歯を支えることができなくなりますから、歯がぐらつき、放って置くと、抜けてしまいます。厚労省のe-ヘルスネットによると、歯周病は、歯を失う原因の37%を占めています。また、歯周病による歯の喪失は、年齢とともに多くなり、65-75歳が最も多くなっています。
失った歯は、土台がしっかりしていれば、インプラント施術で、人工の歯を歯茎に埋め込むことができます。この施術は、チタン製の人口歯根を挿入し、その上に人口の歯冠に似せたかぶせ物をとりつけるものです。この方法で作った歯は、構造的に天然の歯に近く、ブリッジや入れ歯のように周りの歯に負担を掛けることが少ないそうです。なお、差し歯は、歯根に人口の歯冠を指しこむものですから、完全に失った歯には適用できません。
自家歯牙移植と言うものがあります。これは、事故などで失った歯を、自分の歯を抜いて移植するものです。移植する歯は自分の歯ですから、拒否反応のリスクも少なく、歯根膜が十分付いていれば移植先の歯槽骨にしっかり結合するそうです。
自家歯牙移植に用いる歯は自分の歯ですから、人工の歯を埋め込むインプラントよりも、よさそうに思えます。しかし、そうそう移植できる余分な歯があるわけではありませから、自分の歯を使う限り限界があります。しかし、もし、自分の細胞から再生した歯があれば、それを移植に使えます。
歯の再生はどこまで進んでいるのでしょうか。ネット上の情報では、マウス実験ではある程度成果が出ているようです。人工的に作成した歯胚をマウス体内に移植し、歯を再生することに成功しています。また、シャーレのなかで、歯の幹細胞を培養し、歯冠を作ることに成功しています。
歯の幹細胞から天然の歯と同じ形状や機能をもった再生歯をつくることができれば、その歯を移植することができます。歯自体の臓器としての再生が、数十年後には可能になりそうです。
かつて、体性幹細胞が相次いで発見されていた頃、研究所の同僚と再生医学の話になり、再生治療の面白そうなターゲットをアレコレと出し合うなか、歯の再生におちついたことを記憶しています。この時の歯の再生イメージは、in situ tissue regenerationで、失った歯の根元に、“種” を播いて、歯が生長してくると言ったものでした。
歯周病
2021 9 16 (art21-0372)
下顎内側の右犬歯の歯茎が赤く腫れて、食べ物が当たると痛みがあります。1ヶ月程様子をみていたのですが、治まる気配がありませんので、家から最も近い歯科医院へ行くことにしました。
先々週の土曜日(4日)に、予約の電話を入れたところ、翌週の月曜日(6日)の午前中の予約がとれました。歯科医院は予約が一杯ですぐには診てもらえないだろうと思っていましたから、直近日の予約がとれたことは、ラッキーでした。が、こうすんなりと事が運ぶと、この医院は “大丈夫かいな” と変に気を回します。
ともかく、先週の月曜日(6日)診断を受けました。歯全体のレントゲンをとり、腫れのある右犬歯だけのレントゲンもとりました。腫れは歯周病によるものでした。少し膿も溜まり、歯と歯茎(歯肉)のすきま(歯周ポケット)はかなり深くなっていました。
違和感があるのは、犬歯だけでなく、左右の犬歯に挟まれた中切歯と側切歯を含む前の歯全体です。この下顎の前歯の裏側は歯石が溜まりやすい場所の一つです。凡夫の前歯の裏側には、どっぷりと、歯石が付着していました。通販で購入したスケーラーを用いて、鏡を見ながら歯石の除去を試みたのですが、表面の歯石はとれるのですが、内部にこびりついた硬い歯石はどうにもなりませんでした。
厚労省のe-ヘルスネットによると、歯周病とは、「歯周ポケットから侵入した細菌が、歯肉に炎症を引き起こし、さらには歯を支える骨(歯槽骨)を溶かしてグラグラにさせてしまう病気」とあります。初期症状は、歯茎が赤く腫れる、歯肉から血が出るなどです。進行すると、血だけでなく膿が出たり、歯が浮いたような感じになります。また、口臭がひどくなることもあります。これは、歯周ポケットで繁殖した細菌が揮発性硫黄化合物を産生するからだそうです。
厚労省が3年ごとに各疾患の患者数を調査しています。平成29年 (2017) の調査(データへ)では、歯周病の患者数は、398.3万人と推測されています。ここで、患者とは継続的な治療を受けている人です。歯周病は、患者数第一の高血圧性疾患についで、患者数が多い病気です。
歯周病の治療は、歯周菌が繁殖しない口腔内環境をつくることのようです。
細菌が繁殖した塊りのプラーク(歯垢)を除去する、細菌が付着・繁殖しやすい場となる歯石を除去する、歯根の表面を滑択化し細菌がたまらないようにする、また、ぐらぐらしている歯の咬み合わせを調整するなどです。これは歯周基本治療と呼ばれています。
この治療で改善されない場合は、歯肉を切開する外科的治療が加わり、隠れたプラークや歯石の除去、歯槽骨の整形、歯周ポケットの軽減などを行うそうです。
凡夫の場合は、まず、セフカペン-ピボキシル塩酸塩(セフェム系の抗菌剤)の錠剤を服用しました。歯周ポケットで繁殖している細菌をたたく為です。その後、基本治療を受けました。13日に下顎歯の歯石を、15日に上顎歯の歯石を除去し、歯の表面を滑らかにしました。しばらく間をおいた後、歯茎で隠されている歯石を除去するそうです。
歯周病治療の基本は「ブラッシングに始まり、ブラッシングに終わる」と言われています。歳をとって免疫力が低下してくると、口腔細菌への攻撃力が脆弱になるのでしょう。そうなると、せっせと、歯と歯茎を磨いて、細菌と細菌のエサを物理的に排除するしかありませんかな。
ヒメエグリバ
2021 9 13 (art21-0371)
周辺の畑ではとっくにトマトやミニトマトの栽培は終わっていますが、凡夫の畑ではミニトマトの栽培を続けています。いつまで行けるか試しています。まだ、花をつけては着果し、果実が育っています。
しかし、少し赤く色付いた果実に異変が発生しました。果実の表面に微小な穴があき、穴の周辺が凹み、そこから腐っていきます。収穫直前だけに、ショックです。原因は、ストロー状の口器をもった虫が口吻をトマトに突き刺し、トマトの果汁を吸っているのだと推察できますが、その虫の特定に手間取りました。
まず、カメムシを疑いました。カメムシは野菜や果樹を吸汁します。これまで、幾種かのカメムシを畑で見つけました。ピーマンにいたホオズキカメムシ(art18-0047)。カキにいたチャバネアオカメムシ(art18-0066)。ウメの葉にいたキマダラカメムシ(art21-0344)。そして、どこにでもいる、クサギカメムシ(art21-0344)です。
これらは、昼間でも見られるカメムシです。ミニトマトの葉や茎を念入りに調べたのですが、カメムシは見あたりませんでした。また、被害果には、カメムシ独特の臭いもありませんでした。
次は、アザミウマです。吸汁直下の細胞が空洞化する為、微小な斑点ができると言われています。また、開花期に飛来した成虫が子房に産卵し、その部分が白ぶくれ症を引き起こすとも言われています。アザミウマは、体長が1~2mmぼどの小さな細長い虫ですから、注意しないと見落とします。
時間をかけて探したのですが、見つかりませんでした。また、症状からも、アザミウマによるものではなさそうです。
どんなに探してもそれらしい虫が見つからないので、恐らく、夜行性の虫であろうと、午後8時頃、懐中電灯をもって畑へ出かけました。ミニトマトの果実を照らすと、いました。蛾です。目が赤く光っていました。ヒメエグリバ(Oraesia emarginata、ヤガ科エグリバ亜科)の成虫です。トマトの果汁を吸っているらしく、近づいても逃げません。翌日、ヒメエグリバが止まっていた果実は、吸汁した箇所の周辺が空洞化し変色していました。
ヒメエグリバを含めて、吸汁する蛾はまとめて吸蛾類と呼ばれています。吸蛾類は、主に、ナシ、モモ、 リンゴ、ブドウ、スモモ、プルーンなどの果実を吸汁すると言われています。まさか、ミニトマトの果実まで加害するとは思いもしませんでした。
さて、どうしたものか。ヒメエグリバは、昼間はみかけませんから、夕方暗くなると畑に飛来し、朝方明るくなるとどこかへ飛び去るのでしょう。駆除方法の一つは、夜中に殺虫剤を撒くことですが、さすがに、これはやりたくありません。暗くなってから見回りして捕殺することはできますが、どこまでやればよいのか見当がつかず、これも気が進みません。また、防蛾灯(黄色灯)を設置して飛来を防止するのも一つの手ですが、これはちょっと大がかりで却下です。
代替案として、駆除はあきらめて、ヒメエグリバがミニトマトの果実に接触できないように、根菜用の保存ネット(赤色)で果実を覆うことにしました。
しばらく、様子をみていますが、効果がありそうです。これで、虫害に遭うことなく、熟したミニトマトが収穫できればよいのですが。はて、どうなることやら。
タマノカンザシ
2021 9 09 (art21-0370)
先月の15日、買い物ついでに、東郷湖畔の “あやめ池公園” に立ち寄りました。タマノカンザシが咲いているかなと思ったのですが、残念ならが、開花時期にはちょっと早いようです。それでも、一つ二つ咲いていましたので、写真におさめました。
タマノカンザシ(玉の簪、ユリ科ギボウシ属、Hosta plantaginea var. japonica)は、中国原産で、江戸時代中期に日本に入り、観賞用に栽培されている。葉柄が長く、先端が尖った楕円形の葉をもつ。長い花茎をだして、先端が6裂した漏斗状の白い花を総状につけるが、下段の花から順番に咲いていく。ギボウシ(擬宝珠、Hosta)の仲間であるが、ギボウシの花が朝から咲いて夕方しぼむのに対し、タマノカンザシの花は夕方から咲いて翌朝しぼむ。
一昨日の7日、買い物目的で外出したとき、“あやめ池公園” に立ち寄ってみると、タマノカンザシは満開でした。大型の葉の緑色からすっと花の白色が浮き立ち、よいものです。ただ、開花後のしぼんだ花が花茎の下段に垂れ下がり、それが目に付いて、花の清楚な印象が相殺されます。上段に蕾が沢山残っていますから、これからも一序ずつ咲き続けていくのでしょうが、全体から受ける印象は、もう終わりかな、です。
公園の中ほどで、NHK鳥取放送局の取材班がタマノカンザシを撮影していました。この時刻(9時頃)に凡夫らの他に、公園をぶらついている人はいなかったからでしょうか、取材班の一人から、ニュース番組でタマノカンザシを紹介するので、見物人として撮影(音声付)させてくれと頼まれました。気が進まない旨を伝えて、断りました。その人は公園管理人から、咲き終わった花は摘み取るようにしている、と聞いたそうです。我が意を得たりと思いましたが、北側の2つの傾斜花壇に加えて、園内のあちこちにタマノカンザシが群生していますから、公園来訪者へのサービスとは言え、なかなか大変な作業です。ご苦労さんです。
撮影と言えば、某TV局のニュース番組から取材を受けたことを思い出します。対象は凡夫の研究グループが使い始めた遺伝子解析技術です。この技術の導入が本邦発であったので、TV局が興味を持ったのでしょう。質問されるままに、カメラの前で、解析技術の仕組み、解析の内容と解析で分かること、そして、将来への応用ポテンシャルについて、丁寧に説明したつもりですが、相手がきちんと理解しているようにはみえませんでした。案の定、放映されたものは、こちらが言わんとしたこととはかなりズレていました。部分部分を繋いで編集したもので、多分に、視聴者に印象付けるような誇大な内容と構成になっていました。これでは、誤解が生ずるかもな、と思ったものです。
それはさておき、タマノカンザシをゆっくり見て回ることができました。ユリの花もよいのですが、タマノカンザシのただただ白い花もなかなかよいものです。八重の花を付けたタマノカンザシも、ちらほら見られました。
仏壇(2)
2021 9 06 (art21-0369)
浄土真宗では、亡くなると浄土に往生し仏になる(往生即成仏)と説いています。これは阿弥陀仏の導きによるものです。仏壇の本尊は阿弥陀仏ですから、仏壇は阿弥陀仏の浄土を表していると言えます。ちょっと手を休めて、浄土で仏になった故人(先祖)を思い追懐する場の一つが仏壇なのでしょう。
仏壇が置かれている床の間の長押には、祖母、父、母の遺影と並んで、温泉のおじさん夫婦の遺影が掛かっています。温泉のおじさんは、祖母の15歳下の弟ですから、大叔父なのですが、おじさんと呼んでいました。父とは7つ年上になります。
温泉のおばさんが亡くなり、4年後におじさんが亡くなりました。おじさん夫婦には子がありませんでした。どのような経緯があったのかは知りませんが、父と母が温泉のおじさん夫婦の年忌法要を行い、遺影を家に飾って故人を偲んでいました。今は、この家に住んでいる凡夫と家内が引き継いでいます。
温泉のおじさん夫婦は、浅津温泉(今の “はわい温泉”)に住んでいました。近いこともあり、子供のころ、年に数回家を尋ねました。おじさんは不在がちでしたが、おばさんが相手をしてくれました。おばさんは品のある物静かな人でした。ちゃぶ台に座り、お茶と饅頭やカステラなどを戴きました。茶器が小さく、叔母さんは、話しかけながらも手を休めることなく、小さな急須にお湯を注いでは小さな湯のみにお茶を入れてくれました。ときには、縁側廊下に座り、庭を眺めながらお茶とせんべいやクッキーなどを戴きました。庭には池があり、庭の向こうは旅館 “浅津苑”(現、“湯の宿彩香”)でした。おじさんが亡くなった後、土地は浅津苑に譲ったと聞いています。
温泉のおじさんは、長年勤めた町議員から助役となりました。3期(12年間)務めた後、一回り年上のおばさんの面倒をみる為に、町長から要請されていた4期目の留任を辞退したと聞いています。それから9年後、おばさんは亡くなりました。
おじさんが19歳のとき、おばさんと出会ったそうです。年齢差もあり、周囲は猛反対だったそうですが、反対を押し切って5年後に結婚(入籍)したそうです。よほどの縁があったのでしょう。
凡夫が大学院を終えて学位記を持ち帰ったとき、父は近くの親戚を集めて祝ってくれました。温泉のおじさんも来てくれました。おじさんは、上の学校へ行かせてもらえなかったと聞いています。大学院まで行った凡夫をどう思っていたのか分かりませんが、学位取得は我がことのように喜んでくれました。
おじさんは、79歳で亡くなりました。その3年前に、『牡牛のひとりごと』と題する自分史を書いて本にしています。いろいろな事件が簡潔な文体で記述されています。その多くは凡夫の知らないことです。身近な人の一生を、こうした形で知ることは悪くないなーと思います。
仏壇にお参りする度に、写真の中のおじさんとおばさんが懐かしく思われます。
仏壇
2021 9 02 (art21-0368)
先日、庭木の剪定を業者の人にやってもらいました。業者の人はYさんと言い、父が亡くなり母が一人になったときに、先任者から交代した人です。もう10年になります。庭木の手入れは、凡夫自身もやります。しかし、素人ですから、少し飛び出た枝や枯枝を切り取るくらいで、大胆に枝を落として整形することができません。そこは、やはり、プロの技が必要です。
庭でごそごそしていると、後方から声が掛かりました。
「Yですけど、明日、庭木の手入れをやりましょうか」
「あっ、Yさんですか。明日ですか。いつでもいいので、天気がよければ、お願いします」
「では明日やります。梯子をおかせてください」
「どうぞ、どこにでも」
翌日、朝早くから、Yさんは庭木の剪定にとりかかりました。その日は、よい天気でした。
小さな庭ですが、いくつかの木が植わっています。家の築年が53年になりますから、小さかった庭木もそれなりに大きくなっています。生長が遅いと言われているソテツの幹が凡夫の肩にとどきます。
庭の西側に松と椿の木があります。随分高くなり枝葉が伸びて隣家にかかるようになりました。Yさんから相談を受けて、上部を落とすことになりました。頭が無くなった椿の姿は少し変ですが、数年すると、新たに枝が出て頭がつくれるそうです。
Yさんは話好きで、いろいろなことを次々と話題にします。屋外から、廊下の窓ごしに、床の間の仏壇が見えたようで、仏壇の大きさの話になりました。この辺りは、浄土真宗の門徒(檀家)が多く、大きな仏壇を備えている家が多いそうです。我が家の仏壇も大きい方だそうです。ただし、Yさん宅の仏壇は、更に大きいとか。我が家の仏壇は、床の間の西側の収納スペースにすっぽりと入れ込まれています。この仏壇はこの家を建てる時に祖母が父に頼んだものだと聞いていますから、仏壇の大きさに合わせて収納スペースを設けたのでしょう。
夕食の前に、仏壇の前で手を合わせています。ご飯を炊いた時は、家内がご飯を供えます。仏壇にお参りすることは、子供の頃からの習慣です。この辺りの家には仏壇があり、我が家とおなじようにお参りしています。今の凡夫にとっては当たり前のことですが、ちょっと、考えてみれば、これは当たり前のことではなさそうです。この家を離れて過ごした数十年間、仏壇の無い家屋に住んでいましたから、仏壇にお参りすることはありませんでした。
仏壇は家に紐づいているものです。そして、死もまた、家に紐づいているのでしょう。そうだとすれば、死者を出したことのない家には仏壇は不要です。大多数の人が、そのような家で暮らしています。凡夫と家内がそうだったように、遠くで暮らす子供達夫婦も、仏壇をもつことはなく、従って、日々、仏壇に手を合わせることはないのです。
幾人かの死者(祖母、父、母)を見送ったこの家に住むことになり、毎日、家内と2人で仏壇に向かい手を合わせています。その度に、亡き人を思い起こします。
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