今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

花火としゃんしゃん傘踊り

2019 07 29(art19-0157)
今年も水郷際の湖上花火をみました。水郷際は、東郷池の対岸に位置する松崎温泉の夏まつりです。今年は21日の開催で、例年通り、催しものの一つとして花火が打ち上げられました。この花火は、東郷池の護岸に立てば、どこからでも見ることができます。凡夫と家内は、浅津の船着き場で地元の人といっしょに楽しみました。花火は、8:30から始まり、9時前には終了しました。家路につき、今年も、去年と同じことを考えました。”来年はもっと、近くで見よう” と。

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しゃんしゃん傘踊りをみました。はわい温泉広場に設けられたステージで、傘踊りの2グループ、”百花繚乱” と ”暁”、と鈴っこ踊りのグループ、”おどり屋笑颱”、が踊りを披露しました。このイベントは、「日本のはわいdeしゃんしゃん傘踊り」と題して、お盆前の各週の土日(8:15~)に開催されています。はわい温泉の客寄せイベントの一つです。浴衣姿の宿泊客らしい家族連れが観客席用のシートに陣取り観覧していました。ステージでは、軽快な楽曲にのって、鈴をシャンシャンと鳴らしながら、若い男女の踊り子が傘を一斉に操っています。なかなかのものでした。ここで演舞した踊り子は、8月のお盆に鳥取市街で開催される「鳥取しゃんしゃん祭」に参加しているグループのメンバーだそうです。

鳥取しゃんしゃん傘踊りは、伝統的な雨乞い踊りだった「因幡の傘踊り」を踊りやすいように簡略化したもので、昭和40年(1965)に、地元の例祭の行列に加わり披露された。この年から例祭を「鳥取しゃんしゃん祭」と呼んでいる。しゃんしゃんは、市街地の温泉の湯が ”しゃんしゃんと湧く”、また、傘に取り付けられた鈴が ”しゃんしゃんと鳴る” ことに由来する。祭は8月13日から15日に催され、14日の一斉傘踊りには、4千人もの踊り子が鳥取駅前の若桜街道と智頭街道を練り踊る。(参照 鳥取しゃんしゃん祭公式サイト
 
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野菜の収穫(7月25日)

2019 07 25(art19-0156)
しばらく雨天が続き、病気の発生に気を揉んでいましたが、ようやく、青空が戻り、一息ついています。

カボチャを収穫しました。雌花と雄花の交配後ほぼ1ヶ月です (art19-0147) 。この間、うどん粉病が発生し対応におわれましたが、なんとか、持ち直し、果実が収穫できる程に大きくなりました。サイズは、直径 21cm、厚さ 12cmで、重量は 2.9 kgでした。品種は "えびす" です。
早速、家内がカボチャの煮物を作ってくれました。2人で、「旨い!旨い!」と声に出しながら、甘味たっぷりのほくほく感を大いに堪能しました。

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4種の野菜の収穫は続いています。(前回の報告:7月8日 art19-0150
 キュウリ 153本、
 ナス 36本。
 ピーマン 122個
 トマト(アイコ) 143個
 トマト(フルーツ) 96個
 トマト(モモタロウ) 88個

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パプリカの収穫も順調です。
赤色と黄色の品種を各2株栽培しています。昨年の栽培経験から、果色が緑色から赤/黄色になるのに1ヶ月以上の日数がかかることがわかっています。パプリカは、次から次と花を咲かせ実を着けます。実はぐんぐん肥大し、数日後には食べごろのサイズになります。まだ緑色のパプリカですが、収穫して食べています。見た目はピーマンですが、肉厚の実はパプリカです。
 パプリカ 66個。

緑色のパプリカは、それなりに美味しいのですが、やはり、パプリカの値打ちは果色にあります。赤色、黄色、オレンジ色。この色は、果実の成熟に伴い、緑色の光合成色素クロロフィルが減少し、赤・黄色等の色素カロテノイドが蓄積することで現れます (art18-0073)。この色素の交代はゆっくり進行するため、大きく成長した果実の緑色が抜けて、別の色が出てくるのに日数がかかります。色素の交代を早く進めて、大きく育った果実の緑色が急速に赤・黄・オレンジ色にかわるような品種、つくれないものでしょうか。色素の合成経路とその制御に関与する遺伝子を操作することで、なんとかなりそうな気がしますが。
 
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タブレット PC

2019 07 22(art19-0155)
電子書籍の読書用にタブレットPCを購入しました。ものは、Fire HD 10です。

歳のせいでしょうか、小さな文字が読みづらく、文字を追うだけで体力を消耗するようになりました。文字の小さな文庫本と上下二段組の単行本は妙に疲れます。なかでも古い文庫本は、文字が小さく、しかも、活版印刷なので、とても読めたものではありません。一時、読書用の平板ルーペを手に入れて読んでいたのですが、紙面とルーペの間隔を一定に保つことが難儀で、結局、数冊読んだ後は使わなくなりました。

文庫本の文字サイズは、大きくなっています。昭和に凡夫が購入した文庫本の多くは8.0ですが、ちょっと前に出版された文庫本には7.5のものもあります。平成になると9.0と大きくなり、現在は、9.25のものもあります。読みやすさは、文字のサイズだけでなく、文字の書体、そして行間や余白などによっても、影響を受けますが、やはりキーはサイズだと思います。新書版は読みやすいのですが、これは文字サイズが9.0~10.5もあるからだと思います。

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文庫本の文字サイズが大きくなることは、凡夫のような初老の者には、歓迎すべきことです。しかし、文字サイズを大きくすれば、ページ数が増え、その分厚くなります。文庫本の特色である廉価性と携帯性を損なうことになります。そうなると、そりゃ困る、と言いたくなる人がでてきそうです。文庫本の文字サイズをどのあたりでおさめるか、本を作る側の人にとっては悩ましいことでしょう。

凡夫にとっての悩みは、手許にある文字サイズの小さな本をどうやって読むか、です。経験上拡大ルーペの使用は却下です。他の解決方法は、本を電子書籍化しPC画面で拡大したものを読む、です。ここでのPCはタブレット型になります。どこでも、どんな体勢でも、読むことができます。寝転がってでも。

タブレットPCは使ったことがありません。息子が帰省したときに、タブレットを借りて、どんな感じか、試しに電子書籍を読んでみました。文庫本の1ページを1画面に表示すると、ちょうどよい文字の大きさになり、支障なく読めました。タブレット PC を使うことにしました。購入は、息子のアドバイスに従い、この度のアマゾンのプライムデー(7/15-16、年に一度のプライム会員のためのビッグセール)を利用しました。ちょっとしたお得感あり。
手許に届いた "Fire HD 10" を、このところ、アレコレいじっています。使い慣れたら、読みたい本の電子化(”本の自炊” と言うそうです)を進める予定です。
 
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本『都市の樹木433』

2019 07 18 (art19-0154)
これを書いている部屋の入口近くの本棚に “山と渓谷” の樹木図鑑『樹木1』『樹木2』が並んでいます。学生の頃、樹木の名前でも覚えようかなと思いたち、書店で買った図鑑です。何回か開かれただけで、あまり活用されていません。

もう一冊、樹木図鑑があります。岩崎哲也著『都市の樹木433』(文一総合出版)です。こちらは、ポケットサイズの図鑑で、京都に住んでいた数年前、神社仏閣巡りの際に携行するために購入しました。何度か持ち歩いて、本をめくっていたのですが、ある日、一つの樹木の解説文に “おやっ” と思わせる箇所がありました。それは、マツ科トウヒ属の常緑針葉樹の一つ、プンゲンストウヒの解説文です。

【プンゲンストウヒ】葉の気孔線その他に白いワックス質の粉をふき、青白くみえて美しい。このワックス質は、こすると脱落し、緑色の地色が現れる。戸建住宅、再開発地区、公園などに植えられ、樹高は普通4~15m。高木性や矮性などの品種があり、夏の夜間の暑さに弱い。 葉をつぶすと、サンショウにも似た強い針葉樹の香りがある人目を忍んで小枝を盗むと、青臭い錯乱しそうな匂いが周辺に漂い、小脇のバックに入れておくと動くたびに強烈である

下線の箇所:“葉をつぶすと、云々” の記述は、図鑑の解説文としてはとてもユニークです。前述の図鑑「樹木1」「樹木2」にはありません。これは、自分の五感をふるに使って樹木を感取してほしいとの著者の思いから出てきたものでしょう。その為に、葉をちぎったり・つぶしたり、枝を折ったり、皮を剥いだり、果実を齧ったり・食べたりしているようです。その類の試行の結果と感想を記述した箇所が、この図鑑では随所にあります。また、“毛” の様子をていねいに観察しているらしく詳細な記述が多々あります。

太字の箇所:小枝を折ったときに発生する匂いの強烈さを分かってほしいとの著者の思いが伝わってきます。しかし、人目を忍んで盗んだ小枝でも、持ち主に断って手に入れた小枝でも、折ると強烈な匂いを発するでしょうから、あえて、小枝を盗む必要はなさそうです。とすれば、これは、なんなのでしょうか。実際に小枝を盗んだのでしょうか。小枝を小脇のバックに入れたようですので、やはり、盗んで持ち帰ったのでしょう。事実はどうであれ、「ひとこと多い」記述と言えそうです。

この種の本で「ひとこと多い」と言えば、三省堂の『新明解国語辞典』を思い出します。20年程前に、赤瀬川源平の解説本『新解さんの謎』(文芸春秋、1996年)が出版され、この辞典の語釈や用例の特殊な面白さがちょっとしたブームになりました。凡夫も、その解説本を購入し目を通した記憶があります。この度、探してみたのですが、ここの本棚には見当たりません。おそらく、横浜の家(今は娘が使っています)の書棚にあるのでしょう。そちらには、20年間の製薬会社勤務時代に読んだ本が保管されています。

あらためて『都市の樹木433』に目を通しますと、「ちょと変な、ひとこと多い」記述が結構みつかります。いくつか、紹介しましょう。解説文の調子が分かるように全文を引用し、「ちょと変な、ひとこと多い」箇所を太字にしました。

【ヤマハゼ】毛が多い。樹高は普通5~8mで、高いものは10mを超え、20mに達するものもある。都市公園などでハゼノキと同じように植えられており、自生のものもみられる。暖帯の都市ではハゼノキほど美しく紅葉せず、すす病に罹りやすい。枝を切ると師部から液がにじみ、乾くと黒くなる。ひどくかぶれる人がいるらしいが、葉に触れたり、枝を折り千切ってこすっても、かぶれたことはない。葉をもむと繊維が若干強く、青いトマトのような香気がある。秋の落葉は、比較的早い。

【サンシュユ】樹高は普通2~5m程度、長命で成長は遅く、老木でも6~10mほどだが、ときに15mになる。まだ寒さが残る春めくころ、ハクモクレンと同時か少し早く、樹冠全体が黄色になるぼどに咲いてきれい。葉をちぎると網脈の繊維が納豆のように糸を引き、青ずっぱい匂いがある。果実はみずみずしく、晩秋に果柄ごと赤く熟す。落下しても、はつ恋の人の小指のような透光性があり、無意識に口に入る。甘い気もするが、かなり酸味が強い

【ユスラウメ】庭、公園や街路に植えられている。樹高は普通1.5~5m程度。幹はあまり太くならず頼りない。花は一重の白色ときに淡い紅を引き、柄が極めて短く、雄しべは長くない。果実は初夏、透明感のある赤色に熟す。美味しいが、熟すとともに鳥に先に食べられてしまい、積年の恨みがある。果柄はごく短く、若い果実はニワウメほどとがらず、熟すころ、むしろ先端は凹む。果実が白く熟す品種がある。一年枝は茶褐色で、淡色の短毛が密生しているが老眼でも見え、手触りがやさしい。

【ザクロ】赤い一重花のものをザクロまたはミザクロと呼んでいる。果実が大きいものや小さいもの、甘いものや酸味が強いものなどの品種がある。樹高は普通2~5mで、あまりおおきくならない。葉をもむと、枝豆のような弱い匂いがある。果実が熟して割れた様子は、見てはいけないものを見たような雰囲気があり、数々の迷信や奇伝を呼ぶ。鬼子母神神話から人肉の味がするといわれるが、私には分からない。ビワなどとともに、家人のうめき声を聞いてよろこぶという

【イチジク】樹高は普通2~4m、高いものは8m程度になる。日本では主に江戸時代または明治以降に伝わったとされているもの2系統がある。果実の比較的ちいさな甘酸っぱい品種が庶民に身近なイチジクだが、現在は改良が進み甘くて大実の品種や、果実が黒色や白色に近い品種も流通している。寿命が比較的短く、樹形が乱暴で枝が横に張るため、都市では近年少なく、イチジク浣腸のほうが身近かもしれない。小枝を切ると、真冬でも、水分の多い乳液が恥ずかしいくらいしたたり落ちる。

【ヤマモモ】暖地産の常緑樹で、公園や庭、街路に多く植栽される。果樹として多くの品種がり、庭木として流通している。高度成長期の後半、都市緑化の必要性が叫ばれる中、クスノキなどとともに多用されてきた。 落葉は邪魔で嫌い、冬も緑が欲しい、果実がたべられるなど、都市人のエゴイスティックな選択の結果である。樹高は普通5~10m、大木は関東地方南部以西にあり20mになる。近年、次第に大きく育ち、枝葉が密生して暗く、雌株の落果が歩道を汚すなど、嫌う人が少なくない。

【シラカバ】短命で、80~100年が限界といわれる。樹高は普通5~15m、高いものは温帯にあって25mを超える。暖帯の都市では成長が悪く、白く優しい樹皮は黒ずむか灰褐色になって美しくならない。近年、外国産や園芸種の流通が増えており、幹が細くて白く、暖地にも適するとされるが、照り返しや虫害に弱く都市への適性は低い。シラカバは、高原や冷涼地にあってこそ美しい樹木の代表である。暖地に高原の風情を求めて植栽するのは不憫であるし、その人の利己主義を植え育てているように思える

最後の2つは、著者の考えが思わず出てしまったようです。樹木は、本来あるべき場所(生態系)で生育することが望ましいと考えているようです。人の勝手な都合で、移植させられる樹木の身になってみろと。
 
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アサガオ

2019 07 15 (art19-0153)
朝起きると眠気をかかえたまま廊下に出て玄関へ向かいます。途中、廊下の片隅に置かれた水槽の金魚を観察し、三和土に降りて下駄箱の上に並んだ水槽のメダカとエビの様子を窺います。そして、玄関戸を開けて庭に出て、アサガオの花を眺めています。この数週間の行動パターンです。

アサガオは、家内がプランターで育てているものです。アタリア農園の “垣根朝顔” です。その名の通り、つるが良く伸びて、プランターから垂直に張ったネットに巻き付いています。アサガオのつるは右巻きです。さて、「つるをほどいて左巻きにつけると、どうなるでしょうか」という問いを、かつて聞いたことがあります。

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7月1日に、最初の花が咲きました。数日日を空けて次の花が咲いた後、複数の花が、連日、咲いています。花の大きさは中くらいで、花色は、クリムソン、ライトブルー、ライトピンク、レッドバイオレットの4色です。後者の2つの花は、花弁が白色で縁取られています。去年のアサガオの空色(ヘブンリーブルー、art18-0055)もよかったのですが、今年のアサガオも、花色の淡さと花弁の繊細な質感が気に入っています。

アサガオの花、今しばらく、楽しめそうです。
 
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本「ハローワールド」

2019 07 12 (art19-0152)
このところ、木工作業をやっていません。理由は数日続いたトリマーを用いた加工作業後に、顔と首に皮膚炎が発症したためです。状況からみて、木材の削りカスを大量に浴びましたので接触性皮膚炎と自己診断しています。少しよくなったので作業を再開したところ悪化しました。感作されて高感受性になっているようです。その後、一進一退を繰り返しています。落ち着くとよいのですが、困ったものです。

今は、木工作業に当てていた時間は、もっぱら読書に使っています。以前読んだ本を本棚から取り出して読んでいます。ここの本棚には、何度も読むことになりそうな本を並べています。

古本に混じって、とある最近刊の本を読みました。藤井太洋著の「ハローワールド」です。昨年講談社から出版された本です。著者は IT 業界に精通しているようで、フィクションではありますが、IT ワールドでうごめいている人の行動様式が窺えました。

「ハローワールド」は5編からなる連作短編集です。“インターネットの自由” がメインテーマのようです。その中の一つ、『巨像の肩に乗って』をあらすじで紹介します。ツイッターが中国でも使えるようになったこと(これは、運営会社が中国政府へユーザー情報を提供することを意味するとか)に衝撃を受けたインターネットの自由主義者の “何でも屋” が、同調者と共に、対抗策を模索する。GitHubに公開されているマストドン(ドイツのプログラマーのEugen Rochkoが開発したSNS用フリーソフト。誰でもサーバーを立ててユーザーを招いて実際に稼働することができる)のソースコードを改造し、秘匿化通信に変えることで盗聴や検閲されることなく自由に使えるSNSオクスペッカーをたちあげる。更に、何らかの監視や制限・干渉がかかったときには、別のインスタンスに移植するか新規のインスタンスを立ち上げる機能を組み込んだ。また、ユーザー認証にビットコインのブロックチェーンを用いた。このSNSを公開するや、マストドンインスタンスがオクスペッかーに移行し、ユーザー数が数万を超えた。オクスペッカーに変更されたインスタンスの多くは通信が監視されてきた中国、ロシア、イスラエル、ベネズエラのもの。人々は、監視や検閲のない自由な SNS を希求している。喜びもつかの間、オクスペッカ-に日本政府から圧力がかかる。難を避けて、“何でも屋” はベトナムに逃れ、そこからオクスペッカーをサポートする。実際にありそうな話しです。

ネット検閲は、どこの国でもやっていることだと思います。騒々しいUSAはもとより日本でも。個人的には、気持ちの良いものではありません。しかし、検閲されてこまるようなこともありません。そう言えるのは、今の日本が泰平であるからでしょう。懸念すべきは、思想・言論統制や行動監視が必要以上に行われる事態が到来した時、インターネットの自由を誰が守るかです。この小説のように “何でも屋” とそれに無償で力を貸す IT オタクが出現することを願うばかりです。そして、地球のどこかにその種の人が沢山いてくれることあれかしと思います。

それにしても、IT 業界のプロフェショナルの仕事感覚はかなり特殊かもしれません。ソフトウェアの開発プロジェクトに参加しているだけで、それがどこの会社のものかは問わない。会社指向ではなくプロジェクト指向型といえそうです。PC 端末と頭があればどこからでも仲間入りできるのですから納得できます。次から次へと参加するプロジェクトを変えていく(=転職する)。そうすることで、キャリアを積むのでしょう。所属する会社名より、参画したプロジェクトが問われる世界です。面白いでしょうが、反面、厳しい世界です。
 
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【家内の寄稿】
最寄会(友の会)”パンとおかずの持ち寄り”

2019 07 10 (art19-0151)
パンとパンに合うおかずの持ち寄りをしました。
持ち寄ったパンは、ベーグル、紅茶食パンレーズン入り、米粉ケーキパン、ピザパンです。

豚ハム、ブルゾン(肉と野菜のトマトジュース煮)、塩キャベツの酢づけ、ズッキーニディルソテー、ニンニクソテー、野菜サラダ、スパゲッティーサラダ、ポークビーンズ、そら豆ポタージュ。
豚ハムはオーブンで焼くので作りやすいが、塊肉は高いので家では鶏ハムもよく作る。塩キャベツの酢漬けでドレッシングを使わなくなった。健康にもよいし、何にでも合う。ズッキーニーは薄くスライスしてディルとソテー。切り方一つで料理が変わる、ハーブが入ってちょっとおしゃれに。

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午後から出席の私はピザパンとポークビーンズを持っていきました。
このピザは、材料を合わせて軽くこねるだけでできます、また、一晩かけて冷蔵庫内でゆっくり発酵させるので、翌朝焼くことができます。婦人之友2015年11月号に掲載されたレシピです。ポークビーンズ(写真なし)は子どもが小さいころ大豆を食べるようにと考えて作るようになりました。
持ち寄りはおいしいものがたくさんあって嬉しい。勉強になります。そして我が家に帰って作ってみたりしています。

 
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野菜の収穫(7月8日)

2019 07 08 (art19-0150)
連日、キュウリ、トマト、ピーマンを食べています。ナスも少々。

キュウリの4株が、凡夫の背丈を超えるネットに蔓を絡み大きく育った形様を、また、トマトの8株が、竹製の支柱に繋がれ凡夫の背丈以上に成長した姿を前にして、近所のYさんは、「こんなに沢山作って、食べきれないだろう」、と言っていました。言葉通り、食べきれない程収穫して食べています。

6月5日に最初のキュウリを収穫してから、100本目のキュウリを7月6日に収穫しました。100本は収穫目標数でしたから、目標達成です。キュウリの茎葉は、今も、元気がよく、花と幼果を付けていますから、まだ、まだ、収穫できると思います。もっぱら生で食べていますが、余ったキュウリは、家内が漬物にしています。(8日現在、107本)

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一方、トマトは、ようやく、収穫が本格化してきました。連日、十数個のトマトを収穫しています。3つの品種(アイコ、フルーツ、モモタロウ)を栽培しています。アイコとフルーツは小ぶりのトマトで、アイコは長卵形、フルーツは丸形です。モモタロウは丸形の大ぶりのトマトです。それぞれ特徴的な食感と味があります。2人で、朝夕にトマトを食べています。(8日現在、アイコ52個、フルーツ40個、モモタロウ25個)

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キュウリ、トマトと並んで、ピーマンの収穫が続いています。4株のピーマンは、成長しながら花芽を形成していきますから、長い間、収穫が続きます。ピーマンは、軽く蒸してさっぱりとした食味を愉しんでいます。加えて、いろいろな料理の具材として食べています。(8日現在、30個)

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ナスは、定植した苗の生育が悪く、どうなることかと心配していました。原因は、過剰な土壌肥料分による根部の水分吸収抑制だと考えています。数週間成長しませんでした。しかし、その後成長し始めましたから、根の機能に不可逆的なダメージが生じていた訳ではなさそうです。くわばらくわばら。今では、すこし小ぶりですが、ナスらしい枝ぶりを見せています。次々に花を付け、小さな実がぶら下がっています。遅ればせながら、いくつかの実が収穫できるようになりました。これからです。(8日現在、5本)

 
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5枚の聖徳太子札(その2)

2019 07 04 (art19-0149)
1年前に仕舞い込んだ5枚の聖徳太子の万円札、どこを探しても見つかりません(art19-0148)。ほぼ諦め気分で、「見つけた人がもらうことにしよう」と宣告しました。これを耳にするや、家内が本腰をいれて探し始めました。

家内は、初め、洋間の本の幾つかを手に取り、パラパラめくっていました。そのうち、部屋を出て、廊下の脇に山積みになっている本にあたっていました。しばらくして、「あった」と歓声を上げて、本をもってきました。確かに、本の見返しに2枚の聖徳太子札が挟まっていました。しかし、これは探している5万円ではありません。「あっ、これは違うな」と言いながら本を手に取りました。大学生の時に購入した本です。家内が言うには、凡夫がお金を挟みそうな本を選んで探しているとのことです。そして、この本はピンときた本の一冊であると。この探し方が功を奏したことに驚くと共に、凡夫の習癖が察知されていることにちょっと動揺しました。長く一緒に暮らしているのですから、当たり前と言えばそうなのですが。
探していた5万円ではないことを了知した家内は、廊下に出て、再度、探し始めました。数分後、「また、見つけた」と声を張り上げ、本をもってきました。確かに、本の中ほどに2枚の聖徳太子札が挟まっていました。こちらの本も学生の時に手に入れたものです。先の本と同類の本(専門書)でした。
これもまた探していた5万円ではないことを看取している家内は、前と同じように、部屋を出て、廊下でゴソゴソやっていました。しばらく続いていましたが、3度目の声は上がりませんでした。

家内が見つけた4枚の聖徳太子の万円札は、凡夫が大学生の頃に本の中に挟んだものに違いありません。学生の頃、使う予定のない万円札を本に挟んで保管していましたから、挟んだままになっていたものと思います。福澤諭吉の万円札が発行されたのは1984年(昭和59年)です。その前年に大学院を出て、三菱化学生命科学研究所の特別研究員(ポスドク)になり、福岡市から町田市へ引っ越しました。この時、学生時代の荷物(ほとんどが本です)は実家へ運びました。荷物の運搬は、浅津運送が引き受けてくれました。これは父が依頼したもので、運送用大型トラックが下宿先に横付けされたときは、驚きました。2枚の聖徳太子の万円札が挟まれていた2冊の本は、その時に運び込まれたものでしょう。

1年前に仕舞った5枚の万円札を探そうとして、40年程前に仕舞った4枚の万円札が見つかりました。すっかり忘れていた4万円です。今回、本を手に取ってめくってみなければ、見つかることのなかった4万円です。5万円を仕舞った記憶がはっきりしなかったことで、“新たに” 見つかった4万円になります。こう考えると、とても複雑です。しかしながら、金額的には差し引き1万円のロスです。これからも、5万円の捜索は続き、幕引きとはなりそうにありません。

付記:(1) 見つかった4万円は探していた5万円ではありませんから、見つけた家内のものにはなりません。時機をみて、どこかに仕舞います。(2) 福岡市からここに運び込んだ本は2階にもあります。いつか、こちらの本も調べてみようと思います。更なる万円札の発掘かも。


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5枚の聖徳太子札

2019 07 01 (art19-0148)
5万円を探しています。お金は、この地に転居後、凡夫が机を置いている洋間の壁棚の上で見つけたもので、聖徳太子の肖像画の万円札、5枚です。しばらく、そのままにしておきましたが、不用心との家内の忠告もあり、“どこか” にしまいました。1年程前のことです。

4月に、2024年度に紙幣が刷新されることが発表されました。これを受けて、TV放送番組で歴代紙幣の肖像に採用された人物が紹介されていました。その中に聖徳太子の名が出ましたので、「これは家にもあるな-」と家内に言うと、家内はうなずき、「ところで、どこにあるの」と訊きます。「確か、この本棚のこの本に挟んだはずだから」と返答しながら、机の後方の本棚からその本を取り出し、パラパラとめくりました。が、ありません。はて?

歴代の一万円札の肖像
  1958年、C号券、聖徳太子
  1984年、D号券、福澤諭吉
  2004年、E号券、福澤諭吉 (「すき入れ」と「ホログラム」を採用)
  2024年(予定)、渋沢栄一

それから、今日まで、5枚の聖徳太子札を探し続けています。と言っても、時々、気が向いたときだけですが。挟んだ本を記憶違いしているのだろうと、他の本を幾つか手に取ってめくりました。ありません。それでは、本棚を記憶違いしているのだろうと、部屋の本棚全てに、捜索範囲を広げてみました。しかし、ありません。

こうなってくると、本に挟んだこと自体が、あやしくなってきました。では、何処にしまったのか。本以外に紙幣をしまうところがありうるかと部屋を見回しましたが、ここと言えるところが見当たりません。とりあえず、いくらかでも可能性のあるところを探してみました。ありません。

万事休す。お手上げです。 どこにあるのか、万円札。- - - 。が、しかし。

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