しりとり歌(言葉遊び)
2020 06 29 (art20-0250)
ポーンと鳴るのは花火かえ、
煙突掃除は真っ黒け、
久しぶりの車中。何気なく口ずさんだ言葉遊びの歌。子供の頃覚えた ”しりとり歌”。隣席の家内に、「これ知っているか」と問い掛け、もう一度繰り返す。「知らない、聞いたことがない」との返答。「そうか、ローカルの、ここだけのものかな」と返し、続きのフレーズを歌う。
景色を眺める遠眼鏡、
ねんねんころりや子守歌、
太鼓が鳴ってる村祭り、
リンゴやバナナにチョコレイト、
跳んだり跳ねたり雀の子、
・・・・・・・
跳んだり跳ねたり雀の子、
・・・・・・・
「あれ、次なんだったかな。尻取りになっている筈だから、コで始まる言葉、コココ・・・・、うーん、思い出せないなー」。姉に聞くことにして、この話題は終了。
3日後、3歳違いの姉に会う。こんな ”しりとり歌” を知っているかと、出だしのフレーズを歌う。聞いたことはあるが、覚えていないとの返事。残念。“跳んだり跳ねたり雀の子”、次へ進まず。
こんな時こそ、インターネット検索。『煙突掃除は真っ黒け、景色を眺める遠眼鏡』と入力しクリック。4つのブログがヒット。ブログ名、<もじゃうさぎの小屋より>、<Andante>、<ここですという名前のブログやさん><むささびとびのしんの身辺雑記>。次のフレーズは、コケコと鶏鳴いている、でした。
ポーンと鳴るのは花火かえ、
煙突掃除は真っ黒け、
景色を眺める遠眼鏡、
ねんねんころりや子守歌、
太鼓が鳴ってる村祭り、
リンゴやバナナにチョコレイト、
跳んだり跳ねたり雀の子、
コケコと鶏鳴いている、
留守居のじいさんハゲ頭、
まあるいお月さん雲の中、
鎌倉八幡鳩ポッポ、
(先頭の、ポーンと鳴るのは花火かえへ続く)
“しりとり歌” どうにか完成。
歌の始まりはどこなのか判然としません。ぐるぐると繰り返す歌ですから、始まりはあってないようなものですが、ブログ<むささびとびのしんの身辺雑記>には、歌い出しが、“ねんねんころりよ、おころりよ 太鼓が鳴ったら村祭り” とありますから、このあたりでしょうか。
一方、そのブログに、(1950年代後半ごろ、鳥取県倉吉市で聞いた) とあります。倉吉市は湯梨浜町の隣市です。また、凡夫が “しりとり歌” を覚えた時期は小学生(1960年4月小学校入学)になる前だと思いますから、1950年代後半に一致します。
それにしても、鎌倉八幡とは。鶴岡八幡宮のことだとすれば、?が残ります。
鶴岡八幡宮は、横浜 (鎌倉市の隣の栄区) に住んでいた時、家族で初詣の参拝に出かける神社でした。(ときには、すぐ近くの神社、"思金神社" に参詣することもありましたが)
別のしりとり風の歌を記憶しています。
さいなら三角またきて四角、四角は豆腐、豆腐は白い、白いは兎、兎は跳ねる、跳ねるはカエル、カエルはあおい、あおいは根深、根深は長い、長いは煙突、煙突は黒い、黒いは土人、土人は強い、強いは金太郎、金太郎は赤い、赤いはザクロ、ザクロは割れる、割れるはXXX.
記憶している歌は卑猥な言葉のXXXで終わっています。しかし、ネット検索すれば多数のWebサイトがヒットしますが、その中に、ザクロは割れる、割れるは茶碗、茶碗は白い、白いは云々などと続くもの、あるいは、赤いはザクロでなく、赤いはお腰、お腰は臭い、臭いは〇〇〇,〇〇〇は云々などと続くものなどいろいろなバージョンがあることが分かります。こちらの言葉遊びの歌は、幾多の変更箇所付きですが、全国区のようです。
キュウリの病気
2020 06 25 (art20-0249)
先日のブログ "畑の様子 (6月中、2020年) " (art20-0247) で、野菜が順調に生育していることを伝えました。その直後、キュウリの葉面に異変を認めました。
雨天が数日続きましたので、野菜にカビが繁殖しているだろうと考え、雨が上がった日の翌日、殺カビ剤を散布しました。これで大丈夫だろうと思っていた翌々日、キュウリの葉に淡黄色のしみ様の病斑が現れました。
糸状菌 Pseudoperonospora cubensis による “べと病” が頭に浮かびました。しかし、殺カビ剤を散布しましたから、カビによるものとはちょっと考えられません。ベト病によく似た初期症状を示す病気に “斑点細菌病” がありますから、こちらではなかろうかと思い、判定するため少し様子をみることにしました。翌日になると病斑部が白く退色し、小さな穴があいている箇所も見られました。斑点細菌病(病原菌:Pseudomonas syringae)です。
対応策は、病斑の出た葉の除去と抗細菌剤の散布です。病葉を切り取りました。大きく成長した葉を切り取るには抵抗があったのですが、ここは感染拡散防止と割り切って、沢山の病葉を除去しました。そして、薬剤、サンボルドー、を急遽、ホームセンターで購入し、水に溶かして葉面に散布しました。サンボルドーは銅イオン薬剤で、銅イオンは殺菌作用をもつと言われています。発症してしまった斑点細菌病にどの程度の効果があるのか疑問でしたが、他剤の選択肢がありませんから、お試し散布と言った感がありました。
その日の夕方、いくつかの葉に大きな病斑が見られました。それらの葉は、見落とされた病葉だと思います。薬剤散布後にも病状が進行し、病斑が目立つようになったのでしょう。そうした葉の病原菌が健康な葉に感染しないのであれば、放置しても良いのですが、どうなるか分かりませんので、ここは、病斑が目立ってきた病葉は切り取ることにしました。
3本の株すべてが斑点細菌病におかされましたが、北側の株は特にひどく、病葉だけでなく親づるをも地上近くから切断しました。幸い、親づるの残茎から子づるが2,3本出ていましたので、この株は子づるに託します。南側の株では、親づるの葉をごっそり切り取ることになり、親づるの茎がむき出し状態で、不格好になりました。先日の ”畑の様子 (6月中)" の写真と比べると見る影もないほどの変貌です。P. syringaeよ、おとなしくしてくれねーかと、天を仰ぐことになりました。
こうした予期せぬことが起こると、がっかりしますが、あれこれ考えることができてこれはこれで楽しいものです。なかなか思い通りになりませんから、これでよしとすることができません。野菜だけでなく、生き物を相手にしていると、うまくいかないことが多々あります。場合によっては、うまくいく方がまれなこともあります。だから、面白いのだと思います。正解があるのかないのか分からない世界、どうやったらよいのか分からない世界です。で、自分なりにやってみることになります。やってはみますが、本当のところ、どうなるか分からない、これが面白いのです。
庭木のギンモクセイと鳥
2020 06 22 (art20-0248)
庭に高さ5メートル程の木があります。常緑広葉樹のギンモクセイです。
道路からこの木をみると奇妙に見えるらしく、時々、通行人がこの木を指さしながら同行者に何かをささやいては笑いを誘っています。この木の枝葉、北側は繁茂していますが、南側はありません。東から(道路から)この木をみると、上から真っ二つに切断し、半分を取り去ったように見えます。
奇妙に見えるのは、南隣が更地になっているからです。10年程前までは隣家があり、その家の壁が南側から庭に迫っていました。南側に枝を伸ばすスペースがとれず、長い間、南側へ伸びた枝はことごとく取り除かれてきました。隣家があった時はそれ程ではなかったのですが、隣家が無くなってみると、この木の南側の半分に枝葉がないことが際立って、奇妙に感じるようです。
その木の葉は周辺の枝にだけ付いて、内部の枝にはつきません。内部はすかすかです。いろいろな鳥がしきりにやってきて、木の中に入っては去っていきます。恰好の止まり木になっているのだなと思っていました。ところがどうも、鳥達が寄りつく目的は羽休めではなさそうです。
ツツジに続いてサツキの開花が終わった先週、庭木の剪定を軽く行いました(本格的な剪定は、9月に植木屋さんがやってくれます)。その日は、朝から日射が強く汗だくになりました。作業を終えた後一風呂浴びました。家庭温泉があることの有り難さの一面です。
翌日も良い天気でしたから庭木全体に殺虫剤を散布しました。散布後、数日経ちますが、めっきり鳥達の姿を見なくなりました。あれ程、頻繁にやってきていた鳥達だったのですが。無論、ギンモクセイの木にも鳥達の姿をみかけません。ほんの時折、雀がやってきますが、すぐに飛び去ります。
どうやら鳥達は、虫をあさりに来ていたようです。虫のいない木には用がないのでしょう。殺虫剤を庭木に散布したのは、こちらに住むようになって初めてのことで(それまでは、植木屋さんが散布していました)、この変化を予想していませんでした。ちょっと、寂しい気がします。しかし、木の葉が穴ぼこになるのも避けたいし、と、このアンチノミーどうしたものかと悩みます。家内は、餌でも撒いたらと言います。確かに、そうすると鳥達をよべるかもしれませんが、それはちょっと違うのです。ここは、しばらく静観して、変化を待つことにします。
畑の様子(6月中、2020年)
2020 06 18 (art20-0247)
3日間つづいた雨もようやく上がり、晴れ間が戻ってきました。
3日目(14日)の午後は雨だけでなく風も強くなりました。野菜が気になり、カッパを着て畑へ出てみました。ピーマンの株が倒れていました。降り続いた雨で土壌が柔らかくなったところに強い風を受け、頭でっかちの体を支えることができなかったのでしょう。幸い、茎は折れていませんでしたから、支柱を添えて茎を固定し立たせました。また、ナスの大きな葉が風にあおられ、株全体が激しく揺れていましたので、これまた、紐を掛けて支柱に結び補強しました。風雨はその日に終わり、翌日(15日)は、朝から日差しが照りつけていました。
畑の野菜はぼぼ順調に生育しています。この2週間で、随分大きくなりました。前回のブログと比べるとよくわかります(畑の様子 (6月上、2020年)。早いものは、収穫できるほどに大きく肥大した果実を付けています。
【大玉トマト】
2本仕立て。追肥の反応性がよく、肥料過多の症状(茎が太くなり、頭頂部の幼葉が外側に巻く)が出ました。昨年(art19-0136)ほどひどくはないので放っておくことにしました。2段目花房から果実は着いていますが、まだ、果皮が緑色で、赤くなるには時間がかかりそうです。
【ナス】(収穫 1本)
今年のナス栽培には気合が入ります。なにせ、昨年、失敗しましたから、今年は、納得できるナス栽培を目指しています。定植初期の成長はゆっくりでしたが、最近は、ぐんぐん大きくなり、多数の花がつき、幼果が育っています。この成長が続くよう、そして、天を仰ぐことのないように、追肥のタイミングを間違えないようにしたいものです。
【ピーマン】(収穫 7本)
定植初期にはなかなか生育しなかったのですが、この頃ようやく、地温が高くなったせいか、生育がよくなりました。ただ、縦方向の成長が旺盛で、たよりない姿形です。今は、株を大きくするため果実を早めに収穫しています。
【パプリカ】
まだ、小さいままです。夜中に茎をかじられたパプリカ (art20-0243)は、その後脇芽を出してきました。背丈はありませんが、このまま育ってくれればと思います。
【ミニトマト】
勢いがあるトマトなので、適当に脇芽を延ばしています。大玉トマトと同じ追肥を施したのですが、大玉トマトのような肥料過多の症状は現れませんでした。1段目花房から着果し、多数の果実がついています。最初の果実の一部は少し赤くなりました。
【キュウリ】(収穫 6本)
プルーンの木が東側にあるため午前中日射はあたりません。それでも、ぐんぐん大きくなってきました。下方の子つるを2,3本伸ばしています。キュウリは、すでに、5本収穫しました。
インターネットのトラブル
2020 06 15 (art20-0246)
湯梨浜町に移住後、横浜で使用していたモバイル型ルーターWiMAX2を使ってインターネットに接続していました。しかし、電波塔が近くにないのか電波の届きが今一でしたので、パラボラアンテナを自作しアンテナレベルを上げることで通信の安定化をはかりました (art19-0110)。しかしながら、時々、アクセスに時間がかかったり、つながらなくなったりしましたので、地元のインターネット回線、TCCネットを使うことにしました。
TCC(鳥取中央有線放送株式会社)は、琴浦町所在のケーブルテレビ局で、琴浦町、北栄町、そして、湯梨浜町エリアをカバーしています。TCCが運営しているTCCネットの利用を昨年9月に開始しました。以来、大きなトラブルもなくインターネットを使っていたのですが、このところ、午後8-10時の時間帯につながらなくなりました。家内のPCやネットラジオ用PCも同じ症状を示しました、また、WiFi無線ルーターとPCをコードで接続してもつながりませんでした。問題は、PCやWiFi無線ルーターではなく、TCCネット回線にありそうでした。
毎日起こるトラブルでしたから何とかしようと、TCCネットのカスタマーサポートセンターに電話をかけました。電話番号0858-53は琴浦町の市内局番ですから、サポートセンターがTCC本社の建屋の一室に在るものと思っていましたが、そうではなさそうです。電話に出たWさん(女性)にサポートセンターの所在地を尋ねたのですが、個人情報なので返答できないとのことでした。トラブルの状況を説明しましたが、途中、ちょとした情報が必要になり、一旦電話を切ってもう一度かけ直すことになりました。数分後電話をかけると、WさんではなくMさん(女性)が電話に出ました。ちょっとした情報をWさんに伝えたいと告げると、できないとの返答です。Mさんの近くにWさんがいるものと考えていましたから、ちょっと替わってくれるよう頼みました。これまた、できませんとの返答です。Wさんから要求された情報ですから、本人に伝える必要がある旨を長々と説明し、どうにか、Wさんに替わっていただきました。その情報をWさんに伝え、中断していたトラブルの状況説明を続けることができました。しかし、原因の所在に思い当たることがないようで、結局、回線の通信状況を調べるように ”業者” に依頼するとのことで、”業者” からの連絡を待つようにと指示されました。
サポートセンターが何処にあるのか気になり、琴浦町のTCC本社の事業部に電話をかけました。対応に出たNさんも、明言はしませんでしたが、サポートセンターはTCC本社にはなく県外のどこかにあることだけはわかりました。サポートセンターへ電話した経緯を話すと、サポートセンターのWさんが依頼する "業者" は、他でもなく、TCC事業部であることがわかりました。Nさんは、まだ依頼が来ていないと言いながらも、これからすぐに、回線の通信状況を調べると言います。調査の結果が分かり次第、連絡してもらうことにして電話を切りました。
暫くして、電話があり、回線の通信には問題がないようだが、回線の末端にある告知機で切断が起きているので、告知機の交換を勧められました。告知機は、湯梨浜町の各戸に備え付けられている放送受信音声機器で、区の連絡放送に使用されています。時には、果物や魚をトラックに積んだ行商人が、“きょうの目玉商品” の宣伝に使っています。凡夫はこの告知機にWiFi無線ルーターを接続し、家内のPCを含む複数のPCと電波でつないでいます。
湯梨浜町役場の企画課へ電話し告知機の交換を依頼すると、すぐに新しい告知機に交換してくれました。その結果、8-10時の時間帯に起きていたインターネットの接続障害は解消しました。クリック応答が速くなっているようでしたので、通信速度を測定してみたところ、納得できる数値を得ました。応答速度(ping=28.87ms)と伝送遅延時間の変動値(jitter=1.45ms)から、応答が速く、安定した通信であることが分かります。また、通信速度は、上下とも35Mbps以上でしたので、十分です。
ところで、8-10時の時間帯のインターネット不通に告知機はどのように関係していたのでしょうか。
サポートセンターの実態は、所謂、コールセンター風だろうと思います。どこかの部屋に、沢山の机を並べて、多数のオペレーターが、受話器を装着して、PCに向かっているのでしょう。オペレーターは、TCCネットだけでなく、他社ネットのサポートも同時に担当しているでしょうから、アチコチから次から次と電話を受けていると思います。その対応、ご苦労さんです。あるいは、新型コロナウイルス感染騒ぎの中、おすすめの在宅勤務とかで、自宅の食卓テーブルに添えたPCを前に電話を受けているのかもしれません。どうなのか、知る由も無いことですが。
韓国ドラマ
2020 06 11 (art20-0245)
面白い本に出合うことが少ないように、面白いTVドラマに出会うこともなかなか難しいものです。このところの晴天続きで、屋外の作業が多くなり、その分、体力を消耗します。夕刻の5時になると畑へ出かけることを日課にしています。あれやこれやの作業を終えて帰宅すると7時近くです。夕食を済ませ、本に向かうか、TVに向かいます。このところ、TVに向かうことが多くなりました。
新型コロナウイルス感染騒ぎでTVドラマの撮影ができないとのことで、TV放送局はもっぱら旧作ドラマを放映しています。その為、TVドラマ番組の選択肢が減りました。現在、観ているドラマは、民放の「行列の女神」です。週1の放映ですから、空き日があります。そこに韓ドラ番組をあてがっています。韓ドラは韓国では旧作になりますが、日本では新番組として多くが週5で放映されます。今は、土日放映の「悪い刑事」と月-金の「SUIT」を観ています。残念ながら、「SUIT」は終了しました。また「悪い刑事」もあと数回で終了します。いずれの番組も、録画したものを、放送日に拘ることなく観ています。
家内が言うには、凡夫はドラマを観ながら声を出しているそうです。「それは、ありえないでしょう」とか、「おかしいなー」とか、「そんなことが分からないとは、バカじゃないのー」とか、「ちょっと、脚本がおかしいなー」とか、アレコレ声に出しているそうです。ときには「展開が場当たり的過ぎるなー」に続けて「もう、観ないことにする」と家内に告げては、翌日、平然と続きのドラマを観ているそうです。アレコレ声に出しているのは、それだけ、ドラマの世界に入っているからでしょう。それは、やはり、面白いからです。
この歳になると、面白いということが優先します。TV番組を面白く観ていればよしとし、観終わった瞬間に全てを忘れてもよしとします。時間の使い方が変わりつつあります。かつては、先のことを考えて時間を使うように心がけてきました。明日の為に今日があると。最近は、今日は今日の為にあり、明日は明日の為にあると、考えています。
かつて自分の部屋として使っていた部屋の壁に、赤ペンキで大きな文字が書かれています。「いまいまといまというまにいまぞなく、いまというまにいまぞすぎゆく」と。どこで知った言葉か覚えていませんが、書いたのは中学3年生か高専1年生の時です。この言葉とともに、自分なりに歩んできたように思います。そして、この歳になり、ようやく、この言葉をどこかに仕舞おうとしている自分に気づきます。
ところで、韓ドラの面白さの一つに言葉の発音があります。話の内容はわかりませんが、音の連なりを楽しめます。真似をしてみたいのですが、聴力に乏しく、うまくできません。それでも、単純な、何度も出てくる音は、頭に残ります。ケンチャナヨ コマスミダとカムサハムニダ アゲスミダとアラッソヨ ビアネ(ミアネだそうですが、ビアネと聞こえます)とチョンマル ヌグセヨ等です。
韓国語は発音が楽だと聞いたことがありますが、凡夫には、とてもそうは思えません。カタカナ韓国語どまりです。しかし、凡夫にも、文の構成が日本語によく似ていることはわかります。“私は韓国の言葉を少し知っている” を例文とします。名詞、助詞、動詞、副詞にわけてみますと、それぞれが、日本語と韓国語間で、順序よく対応していることがわかります。
私 は 韓国 の 言葉 を すこし 知っている
나 는 한국 의 말 을 조금 알고 있어요
ナ ヌン ハング イン マレ チョグム アルゴイッソヨ
今日も、韓ドラを観て、夕食後の時間を過ごすのでしょう。「悪い刑事」と「SUIT」の代わりの番組をみつけなければなりません。面白い番組があればよいのですが。
漆喰外壁の修理
2020 06 08 (art20-0244)
平成28年 (2016) 年10月21日、鳥取県の中部を震源として地震が発生しました。“鳥取県中部地震”と呼ばれています。地震の規模M 6.6、震源の深さ11km。湯梨浜町、北栄町、倉吉市で最大震度6弱の大揺れ。この地震によって、多くの住宅の屋根瓦や壁が崩壊し、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている倉吉市の「白壁土蔵群」の漆喰壁が剥がれ落ちたり亀裂が入ったそうです。
地震は、凡夫と家内がここ湯梨浜町に移住する2年前の出来事です。両親が残した家(地震当時無人の家でしたが、現在は我々が住んでいます)も被害を受けました。多くの屋根瓦の表面が少し欠け落ちましたが、幸いなことに落下することはなかったそうです。また、漆喰の外壁が、数か所、剥がれ落ちました。移住した2018年、洗面台のひび割れ(これも地震によるものでしょう)を修理しました 。修理は洗面台にあたる漆喰の外壁を壊して行い、修理後壊した外壁を復元しました (art18-0062 )。その際、地震によって剥がれ落ちた東側の漆喰壁は直したのですが、西側の漆喰壁の破損(剥がれと亀裂)には手をつけませんでした。理由は、破損箇所が2階屋根直下の妻壁にあり、高所での作業に対するためらい。そして、見たところ、亀裂は漆喰層に留まり、下地のセメント層には及んでいないだろうと思われたことです。しかし、2階部屋の妻壁側の天井に雨水の侵入によるシミがつきましたので、外壁の亀裂は漆喰層だけでなく、下地のセメント層にも及んでいることが予想されます。そこで、このたび西側の妻壁の破損を修理することにしました。
場所が場所だけに、下屋根から梯子を掛ける必要があります。屋根には傾斜がありますから、下屋根に置いた梯子が滑らないようにする必要があります。また、瓦の一ヵ所に強い力がかからないように力を分散する必要があります。この2点を考慮して簡単な “梯子止め” をつくりました。 “梯子止め” の滑落自体は、地上から下屋根に掛けた大型梯子で防ぎます。
高さ160cmの脚立を延ばして梯子とし、“梯子止め”に設置しました。屋根の母屋の先端部に打ち込まれている留め具にロープを渡し梯子を固定しました。梯子に乗って、漆喰外壁の破損箇所の修理作業をおこないました。
ちょっと高い所での作業であることを除けば、亀裂部の修理作業自体は簡単です。
(1)セメント層の亀裂を硬化粘土材で塞ぐ。
(2)プライマーを塗る。
(3)下地用漆喰を塗る。翌日、仕上げ用漆喰を塗る。
漆喰は日本プラスター社製の「うまくぬれーる」を用いました。これは、でき合い製品で、必要量を取り出して直ぐに使えますから、とても便利です。
漆喰外壁が長年の埃や水濡れを受けてかなりよごれています。漆喰を塗って補修した箇所が白く浮かび上がり、よく目立ちますが、雨水の浸入を防ぐのか目的ですから、見てくれは気にしないことにします。
畑の様子(6月上、2020年)
2020 06 04 (art20-0243)
住宅地周辺の田圃に水が入り、代掻きが始まりました。田植えシーズンの到来です。我が家の畑の、道路をはさんだ向こう側に休耕田があります。草ぼうぼうの状態ですが、その一画に多数の育苗箱が並び、稲苗が育っています。朝、畑へ出かけると、稲苗に水をやっているKさんの姿をよく見かけます。水は、道路脇に停めた軽トラックの荷台に載せた大型貯水タンクの水で、そこからエンジン噴霧器で灌水ホースを通して水を送っています。この散水そろそろ終わりをむかえます。
畑には、先月の4日に植えた (art20-0235) 夏野菜が育っています。道路に近い方から、一列目にトマト(4本)、ナス(4本)、2列目にピーマン(4本)、パプリカ(4本)、そして3列目にキュウリ(3本)、ミニトマト(4本)、そして、防風ネットの小さな囲いの中でスイカ(3本)が育っています。
パプリカは、購入時の苗が小さかったこともあり、今も背丈が低く、頼りなげです。加えて、一昨夜、畝端のパプリカの茎が何者かにかじられ、上部が倒れていました。新芽を含めての切断ですから困ったものです。この時期、ピーマンやパプリカの幼葉がナメクジによく食べられるのですが、茎が齧られるとは考えが及びませんでした。
茎を齧ったのは、ネキリムシかダンゴムシだと推察しています。ネキリムシは苗の茎を地際で齧り倒すと言われています。被害を受けたパプリカは地際よりかなり上部を齧られていますが、食べ方は、まさしくネキリムシのものです。根元周りの土を浅く掘り起こして、ネキリムシを探したのですが見つかりませんでした。一方、ダンゴムシは、生の茎葉は食べないと思っていましたが、昨年、キュウリの根元に近い茎がダンゴムシに齧られ、それ以降の蔓を枯らしてしまいました。この時は、茎に取りついている数匹のダンゴムシが目に焼き付いています。
今年は、稲藁を厚めに敷いてマルチングしています。その為、稲藁の下の土壌は湿潤な状態を維持しています。稲藁をめくると、ダンゴムシとワラジムシに混じって、ナメクジがいます。ナメクジは、日中は稲藁の下でじっとしていますが、日が落ちて暗くなると動き出し、主に葉を食べます。昨年は、この時刻になると、家内と一緒に、懐中電灯と割り箸を持って畑へ出かけ、葉に取りついているナメクジをみつけては割り箸で摘まみ、踏み殺していました。今年は、方針を変えて、日中、稲藁マルチングの下でおとなしくしているナメクジを捕殺することにしました。稲藁をめくってのナメクジ退治は面倒な作業ですが、それなりに葉の食害は減っています。
ここしばらくは、ナメクジ退治と水やり作業が続きます。
これまで、水やりの水は、小屋横の大型貯水容器に溜まった雨水を使っていましたが、底をつきましたので、川から汲んでくることになります。桶を二つ荷車に載せて、畑と川を往復します。稲苗の散水でKさんが用いていたエンジン噴霧器と長いホースがあれば、川の水を小屋横の大型貯水容器へ送ることができるだろうにと、思いながら、柄杓手で川の水を汲み上げて桶に入れることになります。それでも、畑の近くに川があるので助かります。
2階窓の庇のペンキ塗り
2020 06 01 (art20-0242)
2階窓の庇の上面にペンキを塗りました。
庇は腕木庇で、腕木の上に桁を渡し、垂木を架けて野地板をはり、その上に金属板を張ったものです。庇全体がひどく老朽化していました。特に、雨や日射に直に曝される金属板は、塗装が剥げて、周辺部は錆でボロボロです。幸いなことに、上面の金属板には穴はみあたりませんでしたので、今回は、ペンキを塗るだけにしました。いずれ、金属板全体の張り替え、あるいは、庇全体の交換が必要になるでしょう。庇の上部は、外からも、内からも見えないところですから、長い間放っておかれる箇所の一つです。
2階の部屋から下屋根に出て、つま先立ちすれば何とか庇の上面が見えますが、これでは作業ができません。踏み台が必要です。場所が場所だけに、普通の箱型の踏み台は使えませんので、ちょっと傾斜をつけた踏み台を作りました。屋根の傾斜に合わせながら、切れ端材を用いて作製しましたから、不揃いでゴテゴテした外観になりましたが、強度的には問題ありません。この作業を通して、屋根全体の傾斜と屋根瓦の傾斜が異なっているを知りました。踏み台全体の傾斜は屋根の傾斜に合わせますが、踏み台の足の接触面角度は屋根瓦の傾斜角度に合わせる必要があります。勉強になりました。
この踏み台に乗って、2階窓の庇の上面のペンキ塗り作業を行いました。
(1)庇上面の金属板のよごれや埃をとる。
(軍手をはめた手でこすれば簡単にとれる)
(2)金属板にペンキを塗る。
(壁近くを刷毛で塗った後ローラーを用いると、均一に速く塗れる)
“錆の上から塗れるペンキ” を使用しましたので、(1)の作業は汚れや埃を落とすだけですみますからとても容易でした。
作業は無事に終わりました。最初、屋根に立つと、体がすくみました。移動も恐る恐るで、どうなることやらと思っていましたが、だんだん慣れてきたのか、作業が終わるころには、屋根の上を普通?に歩いていました。
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