今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

本「耳袋」

2020 11 30 (art20-0294)
この数日、新型コロナウイルスの感染者数の増加が2,500あたりで止まっているようにみえますから、これからは減少していくだろうと期待できます。ただPCR検査数が45,000前後で留まっていることがちょっと気になります。感染者数の増加の止まりがPCR検査能力のリミットの反映でなければよいのですが。しばらく、要経過観察です。

さて、この数日は雨天が続き、家でごろごろしています。こんな時は、本棚を物色して面白そうな本を抜き出しては、読みふけります。既読の筈ですが、よくしたもので、読んだ内容をぼぼ忘れていますから、それはそれで楽しめます。

根岸鎮衛原著、長谷川正春訳の「耳袋」(教育社新書、1980年刊)には、素朴な、かつ面白い話が載っています。この本は、随分前にどこかの古本屋で購入したものです。
ウィキペディアによりますと、この本は〈江戸時代中期から後期にかけての旗本・南町奉行の根岸鎮衛が、佐渡奉行時代(1784-87)に筆を起こし、死の前年の文化11年(1814)まで、約30年にわたって書きためた全10巻の雑話集。公務の暇に書きとめた来訪者や古老の興味深い話を編集したもので、さまざまな怪談奇譚や武士や庶民の逸事などが多数収録されている〉とあります。
訳者による解説も、「耳袋の世界」と題し、本の最初の二十数ページにわたり記載されています。著者の経歴やら人物像、執筆の動機、文体、はては、著者に関する伝説やらを知ることができます。

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筆者のことはさておき、どのような感じの話がおさめられているか、2,3話本からコピペします。

【人魂】(巻6の一話)
ある人が葛西というところに釣りに出かけたところ、釣竿などの所にたくさんぶよという虫が集まってきた。これを見て、かたわらの老人は、「このあたりに人魂が落ちたのだろう。そのためこの虫がたくさん集まってくるのだ」といった。このことを私の知人に話したところ、この人がいうには、やはり明け方に出かけて釣りをした時に、人魂が飛んできて近くの草むらに落ちた。どんなものが落ちたのかと、そこへ行き、草などをかき分けてみると、泡立ったものがあって臭かったが、まもなくぶよとなって飛んでいってしまたということである。「老人のいったことも嘘ではない」と知人は語った。
【鬼僕】(巻4の一話)
柴田何某というお勘定役を勤めた人が、美濃の国の土木工事のご用で、先年その地へ行ったとき、出発前に1人の下僕を雇って召し連れたところ、誠実にそばで雑用などをしていた。
ある夜、旅宿に泊まったときに、真夜中と思われるころ、夢ともなくその下僕が枕元へやってきて「私は人間ではありません。もうりょう(水の神)といわれる者です。奉公の途中でありますが、やめるお許しをいただきたい」と願ったため「やむを得ない事情があれば、いとまをやらなければならないが、その事情を聴きたい」と答えた。すると、その下僕は「私の仲間の者は、順番に死人の死骸を取ることになっているが、このたびは私の順番に当たって、この旅宿の村から一里ほどさがった、百姓何某の母の死骸を取ることになっています。ゆくえをいわずに参りますのもどうかと思い、申しあげました」といい残してどこかへ行ってしまった。
つまらない夢を見たと、気にもかけずに寝てしまい、翌朝、起き出てみると、その下僕のゆくえは分からなかった。たいへん驚いて、例の一里あまり下がったところの何某の母のことを聞くと「今日葬式を行ったが、野辺送りの途中、黒雲が立ちのぼって空をおおい、棺の中の死骸は失われてしまった」とその土地の者が話したのを聞いて、ますます驚いたということである。

短いながら奇妙な話です。こうした怪奇な話が多いのですが、中には、落語のネタのような話もあります。

【不思議に得たお金】(巻7の一話)
安永のころ、梅若七郎兵衛という能役者がいた。彼は小笠原何某という家に心安く出入りを許され、かわいがらていたが、大変な貧乏の上一年もの間病気であったため、年の暮れになっても餅をつくこともできず、夫婦で一緒に使っていた一枚の衣類までも質にいれるほど困りはてていた。
暮れも12月26日になって「もうすぐ春(正月)になるというのに、こんなあり様でいるのはなんとも情けない。小笠原家へお伺いすれば、年ごとにお歳暮として三百疋(疋は銭10文)づついただけることだから、伺ってみよう」と思いたって、ボロではあるが小袖を着て、裃は近所の人に借りて、小笠原家に伺った。すると「よく来てくれた」といって迎えられ「ご主人様もお目にかかるとおっしゃるだろう」といって、酒などをふるまってくれた。やがて酔いがまわってきたころに、いつものお歳暮をいただいたので、七郎兵衛は「しだいに困窮して、今年は餅もつけないほどであり、いただいたお歳暮でなんとか年を越そうと思います」と話した。小笠原家の主人はこれを聞きつけてお目どおりを許され、さらに「それはそれは気の毒なことであろう。困っているのであろう」とお言葉をかけて下さった上に、金三両をお歳暮とは別に下さった。七郎兵衛は、本当に生き返ったような気持がして、その嬉しさは言葉では表せないほどであった。
お礼の言葉を幾重にも述べて帰路につく途中、どこの町であったてあろうか、どぶに立って小便をした。さあ妻を喜ばせようと家に立ち帰り、まずお歳暮の3百疋を渡し、さて三両の金を捜すとどこへ行ったのかみつからない。最初小便をしたところに落としたのだろうか、ほかの場所に落とした覚えもない。七兵衛は引き止める妻を振り返りもせず、飛ぶようにしてその小便をしたどぶに行き、きたないことを忘れて捜し回った。すると、付近の人たちが集まってきて「何をしているのですか」と尋ねるので「こういう次第だ」と事情を説明すると、同情してあかりをさげたりして、あたりを一緒に捜してくれた。そうしているうちに、どぶのなかから二両拾いだすことができたので、人々に厚く礼を述べて帰ろうとすると、人々は「もう一両も捜しだしたらどうか」というので、七郎兵衛は「いやいや二両だって捜しだせないところをこうして捜しだすことができたのですから、この上、夜を徹して捜してみても、なんの得るところがありましょう」といって家に帰った。
帰ってから、妻にこういう訳だったと事の次第を話すと、妻は喜び「まず足を洗いなさい」というので、足を洗い、帯をといて衣類を脱ぐと、この着物の破れ目から三両が小笠原家でもらったままそっくり出てきた。いただいた三両は落とさず、落としたと思ってどぶで捜し回って拾って得た金は、別の金だったというわけである。

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定年後の生活

2020 11 26 (art20-0293)
縁側に広げた新書版の本、まだ、日干し陰干し状態にあります。カビの臭いが無くなるのを待っています。パラパラとページをめくれば消失効果が増すだろうと、気が向いた時にパラパラとやっています。そうすると、気になるタイトルの本が目に入り、パラパラを中断して本を読み返すことになり、一日の大半が終わります。

ネットで、古本のカビ臭さを解消する方法を検索してみますと、(1)重曹や消臭剤と一緒にビニール袋に入れて数日放置する、(2)新聞紙を各ページに挟んで数日放置する、の2つの方法が紹介されています。両方とも手間がかかり何十冊もの本を処理できませんので、却下です。で、縁側での日干し陰干しとなり、パラパラとページをめくることになります。

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そうして読み返した本の一冊として、前回のブログで、加藤仁著の「定年後 --豊かに生きるための知恵--」(岩波新書、2007年刊)を取り上げました。この本では、活動的で外との関わりをもっている人、所謂、定年後も定年前のように輝いている人を、アレコレ具体例で紹介しています。家中で、一人のんびりと何をするでもなく一日を過ごしているような人は入っていません。
今回は、定年後を過ごしている一人として、思うことをちょっと付記します。

凡夫は、39歳で製薬会社の研究所に中途入所し、20年間働いて60歳で定年退職しました。退職時に「Kさんは好きなことをして会社を終えた」とか「会社の一番良い時に勤めてラッキーだった」と、何人かの人から言われました。確かに、自分でも、好きなことを好きなようにやっていたと思います。また、それが許容される雰囲気が研究所にはありました。研究所に入所する前は、大学を含むいくつかの研究施設を転々とし研究生活を続けていました。そこでも、好きなことを好きなようにやっていました。
そして、定年後の今の生活があります。家庭菜園や木工工作、そして読書を主体とした生活です。

畑仕事や木工作業をしながら感ずるのは、開放感と自在感です。解き放たれて自分の思うとおりにできる感覚です。この感覚は、定年退職後に初めて感じたものです。これまで、いろいろな所で、好きなことを好きなようにやってきたと思っていましたが、この感覚とは無縁でした。

凡夫にとって定年前と後の最大の変化は、お金/生活費の出処です。給料から年金への移行です。稼ぐための労働の有りと無しです。好きなようにやれる研究といえども、労働であることに変わりはありません。有用な成果を出して、その分の報酬を受け取ります。研究の場合の成果とは、発見や発明であり、論文を書くことです。有用とは、報酬を与える側にとって利用価値があることです。
給料生活者から年金生活者となり、労働から解放されました。周りの評価を得るため、報酬を得るために何かをする必要は無くなりました。だれに気兼ねをすることもなく、やりたいことをやりたいように、思うとおりにできます。もっとも、体と頭が老化していますから、実際には思ったとおりにできないこともあるのですが、それでも、開放感と自在感はあります。

解放感と自在感を感じられる生活は、悪くない、否、豊かな生活だと思っています。物があることの豊かさではなく、心が平穏で自由であることの豊かさです。凡夫の場合、この豊かさは、退職し年金で暮らす身分?になって、実現しました。
定年後、家の中で、1人のんびりと何をするでもなく過ごし、時折、庭に出て松の小枝や針葉を剪定ばさみで切り取っている人も、あるいは、縁側に碁盤を持ち出し白黒の石をならべている人も、豊かに生きていると思います。

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本「定年後」~豊かにいきるための知恵~

2020 11 23 (art20-0292)
新型コロナウイルスの感染者数が増え続けて、全国で2,500人を超えたと報道されています。片や、この3連休で観光地は大いに賑わっているとの報道もありました。おやおや、どうなっているのでしょうか。肺機能に少し不安を感じる凡夫としては、感染者が増え過ぎて、重症患者を受け入れるベッド数が足りなくなるような事態だけは起こってほしくないなーと思うのですが、どうなることやら。

さて、定年後の話です。
定年前に、定年退職したら、時間に追われることが無くなるので、時間がゆっくり経過するだろうと考えていたのですが、退職してみると、そんなことはなく、時間の経つのが早く、一日がもう終わったのかと思うことしきりです。何かしなければならないことがある訳でもなく、何をするでもないのですが、いつの間にか暗くなり、今日も終わったのかと息を吐くことになります。まか不思議です。

先日などは、伐採して数年放っておいたサクランボの木(畑で苗木から育てていた木でしたが、野菜栽培のスペースを確保するために伐採しました (art18-009)。幹の太さが 7cmになっていました)を裁断し、長さ30cm程の丸太を数本作り、一つの丸太の皮の一部をカッターナイフで剥いだこと、と、数日前に縁側に広げた本(箱2つ分の新書版。移住前に住んでいた横浜のマンションに置きっぱなしの新書版の本で、東京に住んでいる娘に頼み、2つの箱に入るだけ送ってもらったもの。すこしカビ臭くなっていました)をパラパラとめくり、臭いの減衰を点検しながら、気になる本を読み返したこと、だけです。これで、一日が終わってしまいました。

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読み返した本の中に、加藤仁著の「定年後」(岩波新書、2007年刊)がありました。すっかり、忘れていましたが、凡夫が定年退職する数年前に購入した本だと思います。3,000人以上の定年退職者の取材を25年間にわたって続けてきた著者が、定年後の生活を紹介しています。多くの具体例を知ることで、定年後を生きる上で大事なことを透かして見せています。定年後何をするかには正解はありませんが、“豊かに生きるため” には、ちょっとした要諦があるようです。
この本の具体例に登場する人は輝いています。活動的で、外との関わりを維持しています。決して、家に閉じこもって、一人のんびりと何をするでもなく一日を過ごしている人はいません。

しかし、何もしない過ごし方も一つの選択肢であると思います。30-40年間、会社や官公庁でがむしゃらに働いてきた人達は、定年後は、ゆっくりすればよいと思うのですが。ところが、長年がむしゃらに働いてきた人達の多くは、何もしないことに耐えられないようです。そこで、定年後も何かをすることになるのですが、何をどのようにするのか、頼れる人や組織がありませんから、これまた難題です。この本は、その難題を解く糸口が、どこにでも転がっていることに気づかせてもくれます。

もっとも、何かを始めようにも、一日がアッという間に過ぎてしまいますから、なかなか大変です。しかし、定年後は、時間だけは思い通りに使えますから、肩の力を抜いて気軽に取り組むことができます。とりあえず、ちょっとやってみようといったところから、でしょうかな。

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楽しみ価

2020 11 19 (art20-0291)
楽しい時間を過ごすことに、どれくらいの価値がありますか。その価値をお金に換算するとしたら、どれくらいの額になりますか。それを ”楽しみ価“ と呼ぶことにします。人によって 楽しみ価は異なります。また、同一人でも、年齢や状況によって変わります。

定年退職者の話です。この人が、2日がかりで、1日3時間、総計6時間かけて、ある木工品を作った、とします。類似品が市販されていて、その価格は1,000円でしたから、6時間で1,000円相当の木工品を作製したことになります。しかし、材料費に2,000円かかったので、差し引き1,000円相当のマイナスになります。なお、ここでは、作業場の設備費や電動工具類の減価償却費と電気代等は不問とします。さて、この人の行った木工品の作製は割に合う行為でしょうか。

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営利目的であれば、割に合うどころか、やるだけ損になります。しかし、労働生産性や原材料生産性などを脇に置いて、“行為の楽しさ” に観点を向けると、様相が変わります。

木工品の作製中、その人が時間を忘れる程夢中になり、大いに楽しんだとすれば、6時間の楽しい時間の過ごし代はどれくらいの金額になるのでしょうか。65歳を超え無職の身であれば、材料費の2,000円を超えるものと思われます。時間あたり300円ちょっとです。時間を忘れる程楽しめたのですから、300円ちょっとは安いものです。そう考えると、この人の行った木工品の作製は割に合わない行為ではなくなります。もし、この人の時間当たりの楽しみ価が500円とすれば、1,000円 (木工品価格) - 2,000円 (材料費) + (500円 (楽しみ価) x 6時間) となり、2,000円プラス相当の行為とみなすことができます。

想像力や空想力が旺盛な人は物が無くても楽しく過ごせるのでしょうが、凡夫のような凡人は、楽しさは何らかの行為に内在している故に、それ相応の物が必要になります。木工の場合は木材であり道具類です。家庭菜園の場合は苗であり肥料や薬剤です。また、読書の場合は本です。今日、物の調達には金がかかります。

そのような出費を考えると、ためらいが生じ、行為そのものを見送ることになりかねません。しかしながら、楽しみ価は、楽しければ楽しい程上がります。行為に必要な物を購入する費用以上の楽しみ価が ”発生” しますから購入費を気にしなくてもよいことになります。

こんな屁理屈の下、凡夫は、木工に使う木材や電動工具を購入してきました。
また、裁縫を一つの趣味としている家内には、楽しい時間が過ごせるのであれば、裁縫に使う生地代は気にしないようにと、忠告?しています。

追記:前回のブログ (art20-0290) のティッシュ箱の作製: 材料の杉板代は50円ほどです。作製に要した時間は、材料の杉板の調整(カンナ掛け)と最後の磨きを含めて3時間ほどでした。

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ティッシュ箱(木工)

2020 11 16 (art20-0290)
家内が、紙箱入りのティッシュから、ビニール袋入りのティッシュに替えました。ビニール袋がふにゃふにゃで安定性がないため、使用済みのティッシュの紙箱に、そのティッシュをビニール袋ごと入れて使っていました。しかし、ビニール袋入りのティッシュの交換の度に、紙箱が傷んできます。そこで、紙箱の代わりになる木製の箱をつくることにしました。軽さを重視し杉板で作ることにしました、と言えば、聞こえがよいのですが、本当のところは、杉板がそこにあったから使っただけです。

作製
ティッシュ袋を入れるだけのものですから、強度は必要ありません。板の端を45度の角度で切断した2つの板をボンドで接合しました。“ちぎり” は入れません。長方形の枠板をつくり、底板を嵌め込みます。上蓋にスリット状の穴をあけ、ティッシュの取り出し口とします。
材料
幅7.5cmと11cmの杉板(厚さ1cm)。
工程
枠板として、両端を45度の角度で切断した長さ23cmと13cm(幅7.5cm)の板を2枚ずつ、及び、底板として、21 x 11 cmの平板を用意し、ボンドで接合させ箱をつくる。上蓋として、20.6 x 10.6 cmの平板を用意し、トリマーで、中央にスリット(長さ18.2cm、幅0.8cm)をいれる。

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杉材でも、表面をサンドペーパーで磨けばつるつるになり手触りがよくなります。また、木目がはっきりしていますから、見た目も悪くありません。家内は、気に入ったようです。

今回、木材の直角出しに、“手押しカンナ” を使いました。これまで、直角を出すのに、苦労してきましたが、この電動工具を入手してからは、簡単に、直角の面を持った木材を調整できます。
特に、角材の場合、直角出しは必須です。基準面を決めて、隣面を ”手押しカンナ“ にかけて直角の面とし、直角に交わった2つ面の対面を自動カンナにかけて同じ厚さに加工すれば、正四角形の断面をもつ角材ができます。

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小鹿渓の紅葉

2020 11 12 (art20-0289)
昨年の秋に続いて、今年も、紅葉を楽しみに小鹿渓へ出かけました。昨年は、夜温が下がらなかったためか、落葉が進行し、葉の色変わりも中途半端で、がっかりでした(art19-0186)。今年は、夜温が下がり、日中との気温差が大きい日が続いたので、葉の色付きが良好だろうと期待していました。先日の8日、青空に誘われて、お昼前に、おにぎりと水筒を携えて出かけました。

小鹿渓は、三徳山の南麓を流れる小鹿川の上流域にある渓流です。我が家から渓流まで、30分のドライブです。
ほぼ満杯状態の駐車場(20台程のスペース)に車を止めて、早速、渓流沿いの遊歩道に入り上流へ向かって歩き始めました。見事な紅葉です。あちらこちらに目を奪われながら歩くことになり、時折、ころびそうになります。昨日の雨で道が濡れていて、段差のある箇所などは滑りやすくなっています。一度に一つのことしかできなくなってきていることを自覚し、要所要所に立ち止まっては、目を向けることにしました。

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途中、遊歩道から外れて、渓流の傍の石に腰を下ろし、おにぎりを食べました。足下には白っぽい巨石と澄んだ水の流れ、周りを幾重にも取り巻く木々の葉の赤や黄の濃淡色と羊歯の緑色。贅沢な昼食です。ゆっくりと昼食を済ませた後、遊歩道に戻り上流の終点まで歩きました。
帰路は、渓流に伴走している舗装道路を、渓流を眼下に、向山の斜面を正面に見ながら、下りました。

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生野菜と下肥

2020 11 09 (art20-0288)
子供の頃、まだ、畑の肥料として下肥が利用されていた頃、の記憶です。
果菜類(ナス、トマト、キュウリなど)の果実は生で食べていました。しかし、葉菜類(ホウレンソウ、キャベツ、ハクサイなど)の葉は生で食べることはなく、火を通したものを食べていました。当時、葉菜類を生で食べる習慣は無かったように思います。

葉菜類を生で食べるようになったのは、戦後、欧米の食文化の一つ ”葉菜類の生食” の導入以降であると言われています。サラダに使われるレタスはその例です。結球レタスは、米国進駐軍の食べた ”シーザーサラダ“ がきっかけとなり栽培が始まったと言われています。今日では、幾種かの葉菜類を混ぜ合わせたサラダを食べることが日常になっています。

生で葉菜類を食べることになると、栽培時の肥料に使用していた下肥が問題となります。下肥の使用には、寄生虫や伝染病の感染リスクが伴います。特に体内に寄生している回虫が産んだ卵は糞便とともに排泄されますから、下肥に混入することになります。これを畑で育っている野菜株の周りの土にかけるのですから、茎葉に付着することもあります。そのようにして育てた野菜を食べれば、回虫卵が体内に入り、回虫が小腸に棲みつくことになりかねません。こうした経口感染リスクは日本人だけでなく、進駐軍も例外ではなかったようです。進駐軍の軍人が日本の野菜を生で食べて回虫保持者になってしまい、動揺したGHQは下肥の使用を禁止するように日本政府に迫ったとのエピソードがあります。どこまで本当か分かりませんが、生野菜を食べる習慣を持つ進駐軍軍人にとって、下肥を撒いて栽培した野菜を口にしたくないことは理解できます。加えて、道端に散在する屎尿で満杯の肥桶や、往来で下肥の取引や積み替えが行われている風景は、彼らにとって受け入れ難いものだったのでしょう。

下肥で育てた野菜と区分するため、日本政府は、“清浄野菜”という概念を作り出し、昭和30年(1955)に、"清浄野菜の普及について"、と題する通知を知事宛てに出し、清浄野菜の普及と推進に乗り出します。清浄野菜とは、『屎尿を一切使用しないで栽培され、かつ、腸内寄生虫卵及び経口伝染病原菌が付着しているおそれのない野菜類』と定義されています。

ここに来て、江戸時代から脈々と使われてきた下肥は一掃されることになり、替わりに化学肥料が使用されるようになりました。衛生思想の普及とあいまって、50%以上あった回虫卵保持者率が、10年後には千分の一以下になったそうです。回虫も一掃されてしまい、今日では姿を見ることもありません。

追記:
回虫は、小腸に寄生する線虫で、全長15-30 cm程のミミズに似た体型をしています。回虫は小腸で産卵します。卵は糞に混じって対外へ排出されます。排出された卵は、1ヶ月程で成就卵となり、経口感染によって体内へ入ります。胃液で卵殻が壊れると、子虫が小腸へ移動します。小腸から血管に入り、肝臓を経由して肺へ移動し、気管支を上がって、再度口から小腸へ戻り、成虫になります。この間、3ヶ月。このような複雑な体内周りをするので、“回虫”と名付けられたそうです。なお、回虫の寿命は2-4年。回虫卵は、熱に弱く、70℃1秒で死滅すると言われています。野菜は、熱を通して食べれば安全です。しかし、塩には強く、食塩を使用した漬物では死滅しないそうです。(ウィキペディア参照)

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本「ウンコはどこから来て、どこへ行くのか」

2020 11 05 (art20-0287)
郷里に移住し、小さな畑で夏野菜(トマト、ナス、キュウリ、ピーマン/パプリカ)の栽培を3回行いました。この間、野菜栽培のノウハウを学びました。

栽培には、植物体の養分となる肥料を用います。肥料には無機肥料と有機肥料があります。無機肥料は、無機物を主成分とした肥料で、工場で化学的に生産 (合成) されたものです。化学肥料とも言えます。一方、有機肥料は、油かす、魚かす、鶏糞、牛糞など生物由来の物質が原料です。
なお、堆肥や腐葉土は植物を育てる養分としては量的に足りませんから、肥料と言うより、微生物の餌と言った方が適正です。餌を得て微生物は活発に活動します。その結果、土壌の物理的性質がよくなります。土壌改良材として働きます。

無機肥料は、植物体にそのまま吸収されますが、有機肥料は一度土壌中の微生物によって分解され無機物になってから吸収されます。そのため、無機肥料は即効性がありますが、効果は長く続きません。一方、有機肥料は即効性はありませんが、効果が持続します。また、有機肥料は、土壌の微生物を活性化させますから、土壌の状態が良くなります。更に、有機肥料には、窒素、リン酸、カリの肥料の3大要素だけでなく、ミネラルやビタミンが豊富で植物体を丈夫にします。

植物体と土壌を考えると、野菜栽培には有機肥料が適していると思われます。数ある有機肥料の中で、凡夫は鶏糞を使用しています。しかし、鶏糞は糞が原料ですから、鶏糞にも問題があります。一つは臭いです。発酵鶏糞はまだしも、乾燥鶏糞の臭いはひどいものです。一度間違えて畑に散布した時に体験しました (art-0228)。もう一つの問題はイメージです。糞に対するイメージです。汚い物といった捉え方です。

かつては、家畜の糞だけでなく人の糞尿(屎尿)が肥料として使用されていました。そう昔の話ではなく、凡夫が子供の頃、人々は長い柄のついた大きな柄杓で便所の糞尿を汲み取り、桶にいれて畑へ運び、作物に施していました。この下肥の利用は昭和30年代中頃まで続いていたと記憶しています。その後、いつの間にか、そうした風景をみることがなくなりました。ちょうどこの頃、天神川のほとりに屎尿処理施設が建設されています。
人が排泄した糞尿が、畑に戻り、作物を育てる、そして、その作物を人が食べるという循環回路(人―>糞尿―>作物―>人)から、糞尿が回路の外へ飛び出し、この循環回路は崩壊しました。回路から飛び出た屎尿はどこへ行ったのでしょうか。そして、そもそも、どうして、人の糞尿が、循環回路から飛び出したのでしょうか。今日でも、牛や鶏の糞は肥料として使用されているのにです。

この辺りの理解に、湯澤規子の本「ウンコはどこから来て、どこへ行くのか」(ちくま書房、2020年刊)が参考になります。しかも新書版ですから、軽く読めます。

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以下、関連部分の抜粋です。

『ウンコがかつてのように農地にもどれなくなったのは、ウンコが「汚い」からなのではなく、私たち自身がウンコにふくまれる物質を変化させてきたせいなのである』とあります、ここでのウンコは、下水道に流すもの全体の意味です。
そして、『かつて糞尿を下肥として利用していた時代と比べて、私たちが食べるもの、トイレや台所から下水道に流すものの中には、様々な物質が混入するようになった』と。
更に『人糞尿を含む下水道の汚泥を再利用するには、下水処理場では分解されない有害物質や重金属類が下水に混入されていない保証が無ければならない。しかし、現状ではそれが難しい状況となっているからである』と。

混入物が理由で、下水道の汚泥が肥料として使用されていないのであれば、実に、もったいないなーと思います。

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畑の様子(11月、2020年)

2020 11 02 (art20-0286)
このところ、よい天気が続いていましたが、今日は、朝から、本格的な雨が降っています。
さて、写真は現在の畑の様子です。

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ナス
幼果がいくつかついていますが、なかなか、肥大しません。茎葉に勢いがなくなりましたので、そろそろ終わりかと思います。今年は7月から10月までナスを食べることができました。”秋ナス” は小粒ですが、実が締まっていて味わいがあります。
パプリカ
大きな果実が沢山ついています。ポツリポツリと果実のいくつかは赤くなりましたが、多くは緑色のままです。パプリカは、独特な照り光する鮮明な色(赤や黄)が魅力の一つですから、今か今かと色変わりを待っています。
ピーマン
株に勢いがあり、花を付けては実を成らせています。昨日は、十数個収穫できました。本当に、手間が掛からず、丈夫で長持ちする野菜です。

写真は、10月18日の収穫です。

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次は、冬野菜です。9月13日に畝を立て、ダイコンとカブの種を播きネットをかけました。(art20-0277)

ダイコン
大きく成長しましたので、ネットを外しました。ダイコンハムシが結構発生していました。見つけては捕殺しました。効果があったのか、しばらくすると見かけなくなりました。しかし、先日、アブラムシを見つけました。こちらは、集団であちこちについていますので、捕殺とはいかず、止む無く殺虫剤を散布しました。今、様子をみているところです。

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カブ
本葉が出てくると、虫がつき葉を穴ぼこにしました。虫は、ダイコンハムシの幼虫です。カブの幼葉を好むのかいたるところにいました。どこから出て来たのでしょう。思い当たるのは、トマトの栽培跡地に、堆肥を加えて耕し数週間放置したことです。堆肥の塊が表面に出ていたので、ダイコンハムシが集まっていたのではと思います。ダイコンハムシは、飛翔せずに、歩行で移動しますから、ネットをかけても、地面との間に,僅かな隙間があれば、侵入してきます。困ったものです。
食い荒らされた幼葉を処分し、春まで畝をそのまま放っておこうかなとの考えもありあましたが、気を取り直して、再度、カブの種を播きました (10月末)。さて、2度目はどうなることやら。

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渋柿の ”平種無” は、先日、干し柿にするため、収穫しました。今は、皮を剥かれて、軒先に吊るされています。
甘柿の ”次郎” は、樹上に残っています。しかし、落葉がひどく、ほとんど葉が付いていません。経験から、次郎柿は先端部に亀裂状の窪みができた頃が美味しいことが分かっています。そうなった柿を食べてみたのですが、次郎柿独特な歯ごたえはありますが、甘さがありません。早期に落葉したため、葉での糖質合成と蓄積が十分できなかったのでしょう。ただ、あっさりした柿を好む人には、これはこれで、よいのかもしれません。近くに住む姉は、収穫して持ち帰りました。

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