年の瀬(2021年)
2021 12 31 (art21-0402)
昨夜からの冷え込みで、今朝起きてみると、またまた、外は真っ白です。早速、庭木の雪を払い落して、玄関前の雪かきを行いました。
先日のドカ雪の後処理で、若干疲れ気味です。玄関前の雪かきに始まり、北側路地の雪かき、そして、畑の倉庫前と横の雪かき、と肉体労働に従事してきました。ちょっとした運動のつもりで取り掛かったのですが、どうしてどうして、労役に近いものになりました。
スノーダンプが大いに活躍してくれました。スノーダンプは、大型の角型シャベルにパイプの持ち手が付いたような形状で、ソリのように雪を押して運ぶことが出来る除雪用具(ウキペディア)とあります。使用したスノーダンプは家にあったものでが、凡夫には小さすぎて腰を曲げて押すことになり、大変疲れます。そこで、両サイドのパイプに長めの竹を取り付けて、それを掴んで押すようにしたところ、楽に押すことができました。
今年も、松葉ガニを求めて、家内と2人で賀露港の「かろいち」へ出かけました。かろいちは、海鮮市場で、中村商店、若林商店、網浜水産、とJF鳥取県漁協が店を出しています。この数年、ここで松葉ガニを買うようにしていますが、今年は、カニの水揚げが少ないとかで、どれも高価でしたので、他の店をあたることにして、何も買わず立ち去りました。翌日、赤崎港へ足を運んでみたのですが、結局、生のカニの購入は断念しました。
カニの消費量の日本一は、鳥取県と言われています。
総務省統計局が家計調査のデータ(2020年)を公開しています。これは、都道府県庁所在市及び政令指定都市のおよそ100世帯を調査し、消費量を品目別にまとめたものです。2人以上の世帯あたりのカニの年間消費量(金額とg数)のランキングをみますと、確かに、鳥取市が最も消費量が多いことがわかります。このデータは世帯あたりの消費量ですが、これを世帯人員数で割って、1人当たりの消費量として算出しても、鳥取市が1番になります。
データ上、鳥取県民はカニを日本一食べていることになりそうですが、凡夫には、何かピンときません。鳥取市民が(市民の一部が)特別多く食べているだけかもしれませんな。
CNCルーター(10)、年賀状用の凸版画の作成
2021 12 27 (art21-0401)
いやはや、大雪です。天気予報通りになりました。昨日、今日と、朝起きてみると外は真っ白でした。昨日、朝食前と夕方に庭木の雪を払い落したのですが、今日も、朝食前に雪を払いました。庭木が古くなり、積雪を放っておくと重みで枝が折れますから、必要な作業です。予報では、この降雪は午前中一杯のようです。くわばらくわばら。
さて、久しぶりに、CNCルーターを使いました。中国製のCNC1310です。
定年退職してから、年賀状をごく近い親戚と知人に出しています。賀状には、干支の手書きのイラスト画を添えています。できるだけシンプルに描こうと思案すると、幼児が描いたような画になります。
来年の干支は寅です。この干支は、どうやってもシンプルに描けません。手書きをあきらめて、CNCルーターで凸版画を作成し、木版画の要領で賀状に刷ることにしました。
CNCルーターによる切削方法は、ブログ、CNCルーター (9) (art21-0326) で紹介したものとぼぼ同じです。
- トラのイラストを用紙に描く。
- スキャナーで読み取り、PCへ送る。
- Inscapeソフトを立ち上げ、トラのイラスト画を取り込む。パスタブのEdge detection機能を使って、線画を作成し、DXFファイルで保存する。
- Jww-cadを立ち上げ、トラの線画(.DXF)を表示する。複線機能とハッチ機能を用いて、切削線を加えて、加工図をjwwファイルで保存する。
- NCVCを立ち上げ、トラの加工図(.jww)を表示し、NCプログラムを生成させる。プログラムの一部をGrblのG-codeに合うように修正する。
- CNC1310ルーター用のGrbl controllerソフトを立ち上げて、修正NCプログラムを読み込み、ルーターへ送って切削を実行させる。
NCVCで生成させたNCプログラムは6982コードで、実行に2時間20分程かかりました。ハッチ線を単独線にしたので、ルータービットがいちいち上下しながら移動することになり、時間を取られました。
以前、CNCルーター で、白鳥画を切削しようとしたとき、1mm径のルーター用エンドミルを用いてMDF板を切削したところ、切削面がシャープにならす、バリが相当でました(CNCルーター (9) 、art21-0326) 。今回は、このバリがあった方が、インクで刷ったとき、柔らかい線ができるだろうと考えて、あえて1mm径のエンドミルを用いてMDF板を切削しました。このエンドミルはGENMITSUのSain Smartです。
出来上がった凸版画に墨を塗って、年賀状に刷りました。予想通り、輪郭がぼやけ、ところどころかすれたりして、柔らかい画になりました。
クワイの収穫
2021 12 23 (art21-0400)
今年も残すところ10日を切りました。日増しに、寒さも本格的になり、どんよりとした日が多くなったきました。日課にしている畑廻りも滞りがちになり、終日部屋で過ごすこともあります。夕方になり、“今日は、外に出なかったなあー” と、嘆息する有様です。
そんな中、一昨日、久しぶりの好天で気温も上がりましたから、クワイ床のクワイを収穫しました。クワイは、先月から完全に枯れた状態のままです(art21-0390)。
クワイの栽培は初めてのことなので、塊茎ができているかどうか、また、そのサイズはどうなのか、気になるところでした。また、栽培したクワイは、店頭でよく見かける青クワイではなく、珍しい?白クワイですから、食味の方も気になります。
とりあえず、一株掘り起こしました。まだ、クワイ床には水が残っていますから、作業は、ゴム手袋をはめて、泥土を掘り起こすことになります。泥をかき混ぜて塊茎を探します。ただ、床はブルーシートで囲まれていますから、探す範囲が限定されている分、作業は楽です。
大きな塊茎を6個、中くらいを5個、小さいものを5個収穫できました。泥を洗い落とし、ほふく茎を切り離して整形すと、クワイらしい姿になりました。ほふく茎は役目を終わってすっかり朽ちてしなびていました。
さっそく、家内が収穫した白クワイを使って煮物を作ってくれました。食べてみると、ほくほくとした食感のなかにクワイ特有の苦味があります。しかし、苦味の他にちょっと変な味がしました。この変な味は、凡夫と産後の肥立ち中(産褥期)の娘にとっては、食べられないほどのものではなかったのですが、家内は一口箸をつけると、”何か変な味がする”、と言って、箸を置きました。
しかし、翌日、一晩水に浸しておいたクワイを茹でて試食したところ、変な味は無くなり、クワイ特有の苦みだけになっていました。こちらには家内も抵抗がないようで、3人で、自家製の白クワイを味わいました。
1株に大・中のクワイが10個ほど付いていましたから、10株で100個ほどとれることになります。これだけあれば、いろいろな食べ方が楽しめそうです。
本「中陰の花」
2021 12 20 (art21-0399)
下(しも)の叔母さんが亡くなりました。91歳でした。このところ、食べなくなり眠ってばかりの状態だったそうですから、死因は肺炎とのことですが、老衰死といってもよいかと思います。
叔母さんちは母の実家です。叔父さんが母の弟になります。定年退職するまで住んでいた横浜から帰省した時、下へ行こうと、家内や子供を連れて、叔母さんちを訪ねていました。10年前に母が亡くなってからも、訪問は続けていました。叔父さんと叔母さんの元気な姿を見ると安堵しました。数年前に郷里に移住してからは、年に何度か訪ねていました。しかし、コロナ渦中、叔父さんに続いて、足元が危なっかしくなった叔母さんも施設に入りました。面会できないとのことでしたから、しばらく会っていません。そんな中、亡くなったとの通知を受けました。
コロナ渦でもあり、葬儀はほんの近い親戚と家族だけで執り行われました。葬儀に続いて、取越法要(49日の法要の繰り上げ)と寺参りがあり、最後に、仕上げの会食を行いました。
仏教では、臨終から49日までの期間を "中陰" と呼び、故人が極楽浄土に行けるかどうかの裁きを受けます。49日目に最後の審判が下されます。故人が極楽往生できるように、7日ごとに中陰供養を行い、満中陰の49日には僧侶を招いて追善法要(49日の法要)行います。
しかし、浄土真宗では、故人は臨終と同時に仏になる(往生即成仏)と教えていますから、49日の法要はおこないますが、追善の意味合いはなく、故人を偲び、遺族の心を癒し、仏に感謝する場にすぎません。
玄侑宗久の本「中陰の花」(文芸春秋、2001年刊)を読み直しました。著者は、1956年生まれの臨済宗の僧侶です。
“おがみや” と呼ばれているウメさんは、予知能力をもち、自分の死を予言する。進行の止まった子宮癌をかかえながらも、予言通り亡くなる。89歳、自然死に近い死に方で。僧侶・則道はウメさんの葬儀を執り行う。ウメさんの成仏をめぐって、49日の中陰の間に、何か異変が起こるのではないかと、妻・桂子と神経をとがらす。49日の法要を翌日に控えた夜中、妻が4年がかりでよった紙縒りを網目状に貼り付けて作成したシートを何重にも重ねて、本堂の天井から吊るす。それはあたかも、中空に咲いた花のようである。二つの位牌を前に、お経、"施餓鬼" を上げていると、紙縒りの群れが震えるように揺れ出す。そして、ろうそくの炎にも異変が起こる。お経が終わると、隣の妻が微笑んで囁く「成仏やなあ」と。「だれの」との問いかけに、妻は中陰の花を見上げて「だれのやしらんけど」と言う。
二つの位牌の一つはウメさん、もう一つは、4年前に4週間目で流産した2人の子供の位牌です。ウメさんが成仏するとき、その子を連れて行ってくれたのでしょうか。紙縒りの網で掬い取るようにして。二つの位牌を前に上げたお経 ”施餓鬼" は、ふだん顧みられないあらゆる命たちの成仏を祈るお経、とあります。
下の叔母さんは、浄土に行って仏になっているのでしょう。「往生即成仏」と浄土真宗は教えていますから。そうは言っても、もう会えないのは寂しいかぎりです。
歯周病(4)
2021 12 16 (art21-0398)
水を飲む度に歯が染みて困りました。
染みる歯は、歯茎が腫れている下顎の右犬歯(歯周病と診断付き)だけでなく、下顎の前歯全体でした。歯の染みは前にも経験しています。横浜市の港南台駅近くの歯科医院にむし歯治療で通院していた時、歯石を除去してもらったところ前歯が染みるようになりました。その時は、日を追って染み感が軽減しました。この記憶があるので、今回も、歯の染みは、自然におさまるだろうと考えていましたが、そうはなりませんでした。
歯茎が腫れている歯だけでなく、全体的に歯周ポケットが深く、いつ炎症が起きてもおかしくないとのことでしたので、歯周ポケットの掃除をやろうと、毛先の長い歯ブラシを購入し、ごしごしとブラッシングを行っていました。しかし、場合によっては、過度のブラッシングは歯肉を痛め、象牙質を傷つけ、歯の染みを悪化させることがあるとのことでしたので、この歯ブラシの使用を止めてみました。しばらくすると、下顎の前歯全体の染み感は軽減してきました。これで、よくなるだろうと期待しましたが、右犬歯の染みはいつまでも続きました。しかも歯茎の腫れはそのままで、食べ物が当たると痛みます。
この歯は歯周病と診断された歯で、歯石が溜まり、歯周病菌が繁殖して炎症を起こしていた歯です。歯周病の基本治療として、歯石を除去してもらいました。この歯の染みは、歯周病による歯肉の退縮に伴い象牙質が露わになりかけたところで、それを被覆するように付着していた歯石を取り除いたものだから、象牙質が露わになってしまったものと思われます。従って、染みを治めるには、歯周病を何とかする必要があります。その為には、歯周ポケットで繁殖している歯周病菌を退治する必要があります。
歯周病菌は、基本的にグラム陰性、嫌気性菌です。発症や進行に関連している細菌として、20種類ほどが知られています。そのなかで、次の6種が有名です。Porphyromonas gingivalis、Treponema denticola、Tannerella forsythia、Aggregatibacter actinomycetemcomitans、Prevotella intermedia、Fusobacterium nucleatum。
これらの細菌が繁殖し、寄り集まって、プラーク(歯垢)と称する白いネバネバした塊りを形成します。プラークは水に溶けにくく、歯にしっかり付着しています。
歯周病の予防は、この歯に付いたプラークを、歯ブラシや歯間ブラシなどで、取り除くことです。しかし、歯周病になり、細菌が歯周ポケットの奥で増殖してプラークを形成すると、そう簡単には除去できません。それでも深さ数mmのポケットであれば、歯ブラシで掻き出せるでしょうが、凡夫のように、5mm以上のポケットでは、歯ブラシではちょっと難しいと思われます。そこで、歯間ようじをポケットに突っ込んで、掻き出すことにしました。これを、しばらく続けていると、歯の染み感が緩和されてきました。歯の染み感がなくなると、歯茎の腫れと痛みも軽減してきました。
今では、歯茎の腫れは、まだ舌でさわると違和感(鈍痛)はありますが、目立たなくなりました。食べ物が当たっても痛みはありません。この状態になるのに、9月から始まって、10月、11月と、2ヶ月もかかっています。歳をとったせいなのか、自癒力が低下しているようです。
頃合いをみて、第二段の歯石除去のために、歯科医院へ行こうと考えています。
ミニトマト、いつまで(3)
2021 12 13 (art21-0397)
11月中旬、ミニトマトがいつまでも赤くならないので、保温による赤化促進を期待して、ミニトマトの茎を支柱から取り外し、横に倒してビニールシートを掛けました (art21-0389)。1週間後に、ビニールシートをめくると、期待通り、いくつかの果実が赤くなっていました。ビニールシートによる保温効果、それなりにあったと思われます。
その後も、緑色の果実は赤くなりました。しかし、ことごとく亀裂が入っています。ビニールシートによる保温効果はよいのですが、内部が過湿状態になり、果実の裂果を引き起こしたようです。透明のビニールシートが、一日中、シートの内側に付着した水滴によって白っぽく見えていました。
ここまでかと考えて、株を処分することにしました。ただ、根元近くの茎から新芽が生長し若い茎葉が展開していましので、この部分だけを残し、ビニールシートを掛けて様子をみることにしました。ビニールシートは、内部空間を大きくとるため箱型としました。ビニールシートで覆っただけで、とれくらいの外気温に耐え得るものなのか、ちょっと関心があります。
歯周病(3)
2021 12 9 (art21-0396)
下の右犬歯の内側の歯茎が腫れて、食べ物が当たると痛みがあり、9月に近くの歯科医院でみてもらったところ、歯周病と診断されました。歯全体をレントゲン撮影した後、歯周ポケットの深さを測定しました。その日は歯茎の炎症部を消毒するだけで終わり、後日、歯茎の炎症が落ち着いたところで、歯石を除去することになりました。飲み薬(抗生物質)を処方されました。
1週間後、歯石の除去のために通院しました。下顎歯の歯石を除去し、2日おいて再通院し、上顎歯の歯石を除去しました。そして、1ヶ月後に来院して、さらに、細かく歯石をとることになりました。
鏡に映る歯をながめては、きれいになったと喜んでいましたが、しばらくすると歯が染みるようになりました。歯のしみは、数日すればなくなるだろうと考えていましたが、どっこい、いつまでも続きました。
歯が染みるのは、象牙質知覚過敏症と言われていますが、象牙質に覆われている歯髄の神経が刺激されるからです。象牙質は象牙細管の集合体からなり、組織液で満たされています。象牙質は、歯冠部はエナメル質で、歯根部はセメント質で、覆われていますから、外部の刺激を直接うけることはありません。しかし、象牙質がむき出しになると、圧力、細菌感染による炎症、高低温などによって、象牙細管のなかの組織液が動いて歯髄の神経が刺激されます。これが歯が染みる機序です。
象牙質がむき出しになる原因は、高齢化や歯周病による歯肉の退縮、歯の破折や摩耗などですが、不適切なブラッシングでも歯根がすり減って象牙質が露出することがあるそうです。
凡夫の場合、歯石をとったため、歯根部の象牙質が傷つき一部むき出し状態になった上に、歯周病対策として、毛先の長い歯ブラシでごしごしとブラッシングを行い更に状態を悪くしたのでしょう。
1ヶ月後の予約日に歯科医院へ行き、歯の染みが続いている旨を伝えました。その日に予定していた第2段目の歯石の除去は取りやめになりました。
歯の染みの対処療法は、露出した象牙質に薬剤を塗ったり、コーティング剤で覆って、物理的に刺激を遮断することですが、症状が重い場合は、歯の神経を取り除くそうです。確かに、神経を抜けば痛みから解放されるでしょうが、むし歯でもない歯に穴を開けて神経を取り出すことには抵抗があります。とりあえず、歯肉と歯の隙間に詰め物を塗ってもらい、もうしばらく、様子をみることにしました。
帰宅後、数時間で詰め物は取れてしまいました。水を飲むと、相変わらず歯が染みます。困ったことになりました。〔この続きは歯周病 (4) で〕
本『老人のための 残酷童話』
2021 12 6 (art21-0395)
本棚から、倉橋由美子著の本「老人のための 残酷童話」(講談社、2003年刊)を取り出して読み直しました。この本棚には、いつかもう一度読むであろう本をまとめて置いています。面白い本に出合う機会が少なくなった昨今、この本棚の本は貴重です。
倉橋氏は、2005年に69歳で亡くなっていますから、これは、67歳の時の作品となります。タイトルを “老人のための”と修飾していますが、本人はまだ本格的な老を実感していなかったと思います。この本は、10編の童話?から構成されています。いずれも、奇想天外な話で、脳みその刺激とエキササイズにはうってつけです。
姥捨山は、棄老伝説に材をとった伝説ですが、難題型と枝折型に分類されるそうです (ウキぺディア)。この伝説、倉橋氏の手にかかるとどうなるか、“姥捨山異聞” でみることができます。
市原悦子のナレーションによる日本昔ばなしの中に、“うばすて山” と題する話があります。
ある村に暮らしていた一人息子と母親の話。息子は、国のお触れに従い、60歳になった母親を背負ってうばすて山に出かけたのだが、すて置くことが出来ず、連れ帰って、家の床下に隠し部屋をつくり、そこに母親を隠した。ある日、隣国が難題を提示し、これが解けなければ攻め入ると言ってきた。この難題を、母親が解き、攻撃を未然に防ぐことができた。しばらくして、また同じようなことが起こったが、母親の知恵で乗り切った。このことを知った国の殿様は、年老いた母親 (父親も含めて年寄り) をすてるというお触れを取り消すことにした。
次は、倉橋氏の “姥捨山異聞” です。
こちらは、ある山里に暮らす猟師を営む息子と母親、そして、息子の嫁の話ですが、かなりグロテスクな内容になっています。
初雪の朝、息子は、年老いた母親を背負って姥捨山にでかけて、1人で帰ってきた。息子の話では、姥捨山の山頂あたりに、捨てられた年寄りが穴や庵で生活している。彼らは死に切れなかった年寄りで、中には、鬼となって、他の年寄りを喰っているとか。
息子(夫)の体臭や挙動の異変に気づいた嫁は、姥捨山から帰ってきたのは息子ではなく、鬼となり、息子を喰い殺し、息子になりすましている母親(姑)であることを察知する。そして、息子になりすました母親(姑)の顔に斧を振り下ろした。頭が割れて、鮮紅色をしたザクロの顆粒のような脳が飛び散る。嫁は、飛び散った赤い顆粒を拾い集めては口に入れて貪り喰い、頭の中身も食い尽くす。そして、母親(姑)の死体を解体し、雪中に設けた食料保存庫に運び入れる。
鏡には若い鬼女の顔が映っている。そして、雪が溶けたら山に上って、生き残っている年寄りや鬼を食べてやろうと、鏡の中の自分に笑いかける。
猟奇趣味人が好みそうな話ですが、そうでない人にとっても、刺激になります。残忍でグロテスク、血生臭い話です。なにせ、タイトルは、”残酷” 童話ですから。タイトル負けしていません・・かな。
パプリカ、やっと色がつきました
2021 12 2 (art21-0394)
9月23日のブログ (art21-0374) で、パプリカの果実に色をつけるため収穫を控えていると書きました。それまで、大きくなった緑色の果実を収穫して食べていました。パプリカ独特の赤色や黄色などの色こそついていなかったのですが、食味食感ともパプリカそのものでした。
さて、収穫を控えた3株のパプリカ。10月に入ると、中央の株の果実が赤く色付き始めました。日増しに色が増し、果実全体が真っ赤になりました。
11月に入ると、右側の株の果実が黄色になってきました。すこし、いびつな形をしています。これは、幼果の時期にアザミウマに吸汁されて、その部分の生長が阻害されて、周辺部の肥大化についていけず、窪みができたと思われます。薬剤を散布し殺虫すればそうした変形を防ぐことはできるでしょうが、なにせ、自家食用ですから見てくれは気になりません。しかし、変形果故にでしょうか、果実全体が黄色になりません。果柄側は黄色になるのですが、先っちょがなかなか色がつきません。困ったものです。
11月末に、赤色と黄色のパプリカを収穫しました。 形も色も今一です。更に、虫食い痕もあります。自家食用ですから、よしとします。食べてみると、発色させようと長くおいたせいか、果肉が少し硬くなっていました。
ところで、左側の株(橙色のパプリカ)には緑色の大きな果実がついています。一部、すこし色がついていますから、数日すれば全体に色が広がり、パプリカらしいもっこりとした大型の果実がとれるだろうと、楽しみにしています。
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