今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町(鳥取県)に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

ツチガエル

2024 8 29 (art24-0680)
今朝、畑に出て、小雨の中、柿の木の台風対策を行いました。果実が大きくなり、枝が撓んでいます。強い風にあおられて枝が折れないように、ビニール紐を掛けました。

さて、本題です。
今年は、庭でカエルをよく見かけます。カエルはツチガエルです。
    ツチガエル (両生類保全研究資料室の資料より)
    体長は、雄で30mm~40mm、雌で35mm~50mm程度。 体色はまさに土色。背中の中央に背中線と呼ばれる白く細い線がある個体もいる。お腹にはまだら模様がある。全身にごつごつとした縦長のイボがある。
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8月に入って、小さなツチガエルがぴょんぴょんと跳ねていましたが、今では、かなり大きくなっています。庭でカエルを見かけることはめずらしいことではありませんが、今年は、数が多く、ちょっとした異変です。家内は庭に出る度に、気になるようです。

ツチガエルを含めてほとんどのカエルは水場に産卵します。田圃に設けたクワイ床には水を張っていますが、その床に、今年も、カエルの卵を見かけました。卵はトノサマガエルとツチガエルのものでした。ひところ、オタマジャクシが泳いでいました。今は、大きくなったカエルが床の周辺を飛び交っています。
周りの水田でも、卵から孵ったオタマジャクシが泳ぎ、後足そして前足がそろって尻尾がなくなった子供カエルが水の少ない場所で飛び跳ねていました。カエルは身近な動物です。

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ところで、庭のツチガエルはどこから来たのでしょうか。
庭には、カエルが産卵できるような水場がありません。唯一の水場は、金魚用の簡易水槽として使っている大型プラスチック容器内の水です。このプラスチック容器は、庭に半分埋め込んだだけのものですから、ツチガエルが侵入できます。しかし、この容器内がツチガエルの産卵の場であり、孵化後のオタマジャクシの生育の場であるとは思えません。毎日金魚に餌をやっていますから、卵があれば、また、オタマジャクシが泳いでいれば、気付いていた筈です。

庭で見かけるツチガエルは、庭で生まれて育ったのではなく、何処かで生まれて育った子供カエルが、庭に移動してきたと考えられます。産まれ育った場所は、近くの水田だと思われます。一番近くの水田から庭まで、真っすぐな路地がつながっています。距離は50mほどでから、小さな子供カエルがぴょんぴょんと移動してきたのでしょう。
そう言えば、ひところ、水田にいた沢山の小さなツチガエルは、いつの間にか、いなくなっています。どこかへ移動したのでしょう。

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大実キンカンの着果

2024 8 26 (art24-0679)
大実キンカンの木に沢山の果実がつくようにしました。

大実キンカンの花は、前年に生長した枝から発生した新梢に、数枚の葉が出てきて先端部に付く花(有葉花)と、前年に生長した枝に直接付く花(直花)があります。花の数は、直花の方が圧倒的に多く、有葉花は少しです。しかし、着果するのは、ほとんどが有葉花です。直花は沢山咲きますが、多くは着果することなく落ちてしまいます。

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昨年、大実キンカンの木は30個ほどの果実を付けました (art24-0616) 。すべてが、新梢の先端部に付いていましたから、有葉花からできたものです。この付き方は、温州ミカンと同じです。また、果実は一般的なキンカンより一回り大きく、尻部がふくらんだ楕円錐形でした。果実の付き方と形状から、大実キンカンは、大きなキンカンと言うより小さなミカンと言った方がよさそうでした。

ところで、大実キンカンの木に沢山の果実をならせるにはどうすればよいのでしょうか。
一般的なキンカンは沢山の果実を付けます。これは、有葉花だけでなく直花もある程度着果するからです。大実キンカンは多数の直花を付けますから、直花の一部にでも実がつけば、果数を増やすことが出来そうです。

直花の数を制限すれば、着果する直花が出てくるのではと考え、今年は、蕾の数を調整しました。生長の早い蕾だけを残して、他は取り除きました。これがよかったのか、一部の直花に実がつき、今では、小指大の果実に育っています。

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大実キンカンの直花でも、摘蕾し花数を減らせば、着果することがわかりました。ただ、一番花が着果した後でも、次から次へと新たな蕾が出てきますから、今も、摘蕾作業を継続しています。また、有葉花の果実は新梢の先端部に付いていますが、新梢の若葉は柔らかいので、ミカンハモグリガの幼虫(通称、エカキムシ)の恰好の餌になっています。エカキムシによる食害がひどい新梢は切除しています。

キス釣り

2024 8 22 (art24-0678)
久しぶりに、キス釣りに出かけました。この時期、キスは産卵のため、浅い場所、海岸近くに集まっていますから、海岸から投げ釣りを楽しむことができます。

19日と21日の2回行きました。釣り場所は、橋津海岸から東の方へ800m行ったところ、三軒茶屋にある宇野公園の駐車場から砂浜に下りた海岸です。自宅から車で7分程です。餌は、前日近くの釣り具店で購入して、プラスチックパックのまま冷蔵庫に入れておいた青イソメです。松崎のT釣り具店より倉吉駅前通りのK釣り具店の方が、安く手に入りました。釣り針は、OWNERのトリプルキスです。3本針の仕掛けですが、これは、前に購入したものが、釣りの道具箱に入っていたのをたまたま見つけたので使いました。この仕掛け針を、15グラムのジェット天秤型オモリにつけました。

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さて、以下は釣果です。
19日は、6時半にでかけて8時に帰りました。1時間半で、18匹でした。
21日は、5時半に出かけて8時に帰りました。2時間半で、49匹でした。

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両日とも、入れ食い状態でした。しかも、キスは砂浜の波打ぎわ近くの、深くなっているあたり(かけ上がり?)に集まっているようで、遠投する必要もなく、軽く投げて、リールをゆっくり巻いていけば、途中で複数の当たりがきます。段々重くなった竿の糸を巻き上げてみると、3本の針に3匹のキスが付いています。次から次へとよく釣れましたが、ほとんどが小ぶりです。K釣り具店の店長から朝早く行くと大物が釣れるとのアドバイスをいただき、2回目の21日は、1時間早く出かけてみたのですが、釣れたキスのサイズに変化はありませんでした。

この時期のキス釣りは誰にでもできます。ただ、せわしい釣りで、投げて上げれば釣れていますから、その度に、キスの口から針を外し、餌の付け替えをすることになります。

釣ったキスは天ぷらにして食べています。小ぶりのキスですから、家内が、頭と内臓を取って、そのまま油で揚げて、食卓に出してくれます。

キウイフルーツの水切れ

2024 8 19 (art24-0677)
5月に、ポットで育てていたキウイフルーツを、畑の北東の端に移植しました。暖かくなってからの移植でしたが、根付いたようで、その後、順調に成長していました。5月末には、蕾が膨らみ開花しました。しかし、残念ながら、花は、着果することなく、数日後に落ちてしまいました (art24-0654) 。

8月に入っても晴天が続き、増々、畑の乾燥が進んだようで、地植えのキウイフルーツの葉が枯れてきました。急遽、散水ポンプを持ち出して、畑一面に水を撒きました。しかし、枯れ始めた葉は回復することなく、黒ずんで落下してしまいました。

それからすぐに、落下葉の葉腋から新芽が伸びきました。この新芽の取り扱い、どうしたらよいのでしょうか。

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キウイフルールの花芽はいつ分化するものか、学術論文を当たってみました。
形態学的な観察調査(渡辺、高橋、園芸学会誌、1984)では、花芽分化期は3月中旬とあります。その後、花芽は急速に発育し、2ヶ月後に開花する。しかし、前年の7月に第2葉の葉腋に1個の花芽となる原基がみとめられ、それから冬季にかけて上位の各葉腋に花芽となる原基が順に現れ、徐々にその数が増加する、とあります。注意すべきは、3月中旬に、第1花の苞形成が認められる。これをもって、花芽分化の時期を規定していることです。

摘葉がキウイフルーツの開花、結実に及ぼす影響を調べた論文(渡辺、高橋、日本大学農獣医学会誌、1988)によると、7月から9月に摘葉すると、翌年の着花数はほぼゼロになったそうです。また、摘葉後すぐに脇芽が伸長し、2番枝あるいは3番枝から伸びた新梢に着花は見られなかった、とあります。

これらの論文は、7月から8月は花芽となる原基ができる時期であり、この時期の摘葉は花芽となる原基の発育を停止させること、また、この時期を逃すともはや花芽は形成されないこと、を示唆しています。

このたび水切れでキウイフルーツの葉が枯死/落下した時期が、ちょうど花芽となる原基ができる時期に当たりますから、来年の春に花を咲かせる花芽の分化が停止してしまったと思われます。
来年こそは、1本だけのキウイフルーツ(ニューエメラルド)に、両性花が咲いて、着果する現場に立ち会えることを楽しみにしていたのですが、どうやら1年延期となりそうです。

脇芽から伸びた枝にも花芽は分化しないようですから、花が付かない枝を残してもしょうがないことですから、落下葉の葉腋から出てきた新芽は取り除くことにしました。

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昭和の遊び(2)

2024 8 15 (art24-0676)
夏の暑さはお盆までと言いますが、今日も外は炎天です。こう暑いと、外出する気にもなれず、一日中、冷房の効いた部屋でグダグダと過ごすことになります。しかし、果樹を枯らす土壌の乾燥は待ってくれませんから、午前中、意を決して、ポンプ車(4輪台車にエンジンポンプとホースを積載したもの)を繰り出し、畑全体に水を撒きました。二回目です。

さて、本題です。
中学生になると、遊びが変わってきました。中学では、通学していた羽合小学校と近隣の2つの小学校(長瀬小学校と宇野小学校)の生徒が一堂に会しましたから、ちょっと質の異なる生徒の混合体になりました。長瀬小学校から来た生徒は、粗野な我々と違って、いくらか洗練されていました。もっとも、同じ片田舎のことですから、その差は知れたものですが。ただ、おどろいたのは、家で勉強していた生徒がいることでした。家の手伝いと遊びでいっぱいいっぱいであった我々には、家で勉強するという習慣はありませんでした。これは、中学に入ってからも変わりませんでした。

中学生になると、クラブがあり、多くの生徒はクラブに入りましたから、放課後、原っぱに出かけて、皆と遊ぶことは少なくなりました。凡夫も、軟式テニス部に入りました。しかし、一週間でやめました。理由は、コートの周囲でポール拾いを毎日やらされたからです。これまでやってきた遊びでは、全員が参加できました。上手も下手もなく皆で一緒に楽しめました。と言うよりは、誰でも楽しめるように遊び方を工夫していました。クラブは遊びとは異なることが分かり、クラブとは縁がなくなりました。

中学に入って、やっていた遊びは多くはありません。
卓球
公民館の一階に卓球台が3台置かれていました。館への出入りは自由でしたから、誰でも、いつでも、卓球を楽しむことができました。ここでは、小中学生、一部高校生が入り乱れて卓球の試合を楽しんでいました。勝った方が残り、負けた方が交代していました。小学から中学と卓球をやっていましたから、今でも卓球を楽しむことができます。
バトミントン
公民館の傍の広場に、バトミントンコートがありました。そこで、近所の子供と白いシャトルが見えなくなるまでやっていました。
海遊び
夏は海で遊びました。家から橋津の海岸までは1.5km、自転車のペダルを踏んで出かけました。ほぼ、毎日。夏休みが終わり、水泳の授業時に日焼け品評会?がありましたが、真っ黒になった生徒の一人でした。海では、泳ぐというより、サザエやウニを採ったり、魚をヤスや水中鉄砲で突いたりしていました。水中鉄砲は自作です。当時、海で釣りをする生徒はいませんでした。釣りは、もっぱら、東郷池でやりました。

他には、悪ガキ仲間の一人が父親のオートバイを乗り回していたので、借りて乗っていました。この体験は、高専入学後に、中古のオートバイを手に入れることに通じています。

小学生のときは、自分たちでルールを変更したり、作ったりして勝手に遊んでいましたが、中学では、ルールに則った遊びになりました。スポーツに近いものと言えます。こうなると、昭和の遊びとは言えなくなります。
また、中学生になると、1人で何かをすることが多くなり、皆で遊ぶことが減ってきました。

クサギカメムシの幼虫。脱皮直後のようで、体色が白っぽい。
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エンジンポンプの登場

2024 8 12 (art24-0675)
日照り続きで畑の乾燥が進んでいます。
キウイフルーツの葉が枯れてきました。また、収穫期のイチジクに黄変した葉が見られるようになりました。また、プルーンの木の西側の下草がまばらになり土肌がみえるようになりました。
2021年、干天が続き、収穫を直前にしてイチジクの葉が一気に黄変し落下したことを思い出します(art21-0360)。今年も、このまま放っておくと、同じことが起きそうです。そうならないように、潅水することにしました。エンジンポンプの登場です。

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エンジンポンプは昨年購入した工進社のハイデルスポンプSEV-25Lです (art23-0568) 。安価で軽量の2点からこの機種を買ったのですが、実際動かしてみると、2サイクルの小さなエンジンですから、大きな音、しかも甲高い音、がでます。近所迷惑になりかねませんから、早朝と夕食後の稼働はできません。

昨年、このポンプを使いましたから (art23-0568) 、今回、特に問題なく作業ができました。畑全体にたっぷり水を播きました。これで、数日は潤うでしょう。

近所のYさんによると、梨畑に潅水しているそうです。大型タンクとエンジンポンプを軽トラックに載せて、川から水をポンプで汲み上げてタンクに溜めて、梨畑に播いているそうです。梨畑は小山の中腹にありますから、軽トラックで川のある麓との間を何度か往復することになります。手間のかかる、きつい作業です。高齢の梨栽培農家には特に。
かつては、梨畑に水を撒くなど、ありえなかったのですが。地球温暖化(このごろは、地球沸騰化と言っていますかな)の影響が、こんなところにも現れています。困ったものです。

イチジク熟れる

2024 8 8 (art24-0674)
畑に1本のイチジクの木が植わっています。今年も、果実が食べごろになりました。果皮が濃褐色にかわり、果肉も柔らかくなりました。試食してみると、濃厚な甘みがあります。

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鳥にも、食べごろになったことが分かるようで、熟した果実が嘴でつつかれていました。食害痕から、カラスのような大きな鳥ではなく、小型の鳥(ヒヨドリ?)のようです。鳥が近づかないように、以前スイカの栽培時に使った防鳥ネットを被せました。

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今年は、雨が続いた時期に、まだ青い幼果の一部にそうか病の病斑が現れました。そうか病の病原菌は糸状菌で、病斑は灰褐色のかさぶた状のそうか斑で、果実の表面に現れます。手で触るとがさがさ感があります。また、発病果はすこし奇形になります。病気の発生の早い時期に殺カビ剤を散布しました。

イチジクは生食が一番ですが、食べきれない果実は家内がジャムに加工します。今年のイチジクは、熟期に好天が続いていますから、生でもジャムでも美味しく頂けるでしょう。

昭和の遊び

2024 8 5 (art24-0673)
前回のブログで、原っぱでの遊びを取り上げました。昭和30年代、凡夫が小・中学生の頃、の遊び場の一つとして、湖畔に原っぱがありました。そこで、主に野球に興じていました。誰でも参加できるように、ボールは柔らかいものを使っていました。
今回は小学生の時にやっていた外遊びを、覚えているままに書きます。 当時の遊びの特徴は、一緒に遊ぶ子供の年齢や体格がバラバラであること、遊び場は集落内のちょっとしたスペースであること、また、遊び道具はそこいらへんにあるものを使い、特別なものや金のかかるものを必要としなかったことでしょうか。

ゴム跳び(何人でも)
輪ゴムをつないで紐状にして、端を二人が持って、ゴム紐を水平にはる。その紐を飛び越える。ゴム紐は、足首、膝、腰、胸、肩、頭と段々高くしていく。高くなると、足を上げて足先にゴム紐をひっかけて跳ぶ。女の子に混じって、遊んでいた。
釘刺し(1:1)
短い線を地面にひいて、両端を対戦者の出発点とする。交互に、5寸釘を投げて地面に刺し、刺した跡を線で結んでいく。相手を取り囲み、出られなくしたら勝ち。釘を思った所に刺せるように練習し、相手をどうやって取り囲むのか思案する。
リム回し(何人でも)
自転車のリムの溝に棒をいれて、リムを回しながら走って速さを競う。狭い路地でやっていた。
メンコ(何人でも) 地面にメンコを置く。自分のメンコを地面に叩きつけて、相手のメンコを裏返したら勝ちで、裏返したメンコを貰う。
缶げた(何人でも)
空き缶の底に2つの穴を開けて紐を通し両端を結ぶ。足を空き缶に載せて、紐で空き缶を持ち上げながら進んで競走する。
工作1.竹とんぼ
2種類作った。一つは、回転軸から羽が外れて羽だけが飛んでいくもの、一つは、軸が羽に固定されていて、一緒に飛んでいくもの。
工作2.空気鉄砲
細長い女竹を使って鉄砲本体(筒と押し出し棒)を作る。玉は、じゃのひげの紫色の実か、杉の雄花。杉の雄花は小さいので、押し出し棒にはスポークを使用していた。
雀取り
モチノキの樹皮を石でつぶし水洗いして鳥もちをつくって、竹の棒の先端につける。屋根瓦の隙間に突っ込んで、雀を取っていた。
もう一つは、レンガを並べて罠を作り雀を取っていた。罠の下部にまいた米(餌)を食べようとつっかい棒にのると、ブロックが落ちて、出口を塞ぎ、雀を閉じ込める。
駒と追いかけっこ(何人でも)
主に正月に行っていた。瓶の金属製の蓋(直径2cm程)に2つの穴をあけて、ゴムを通して、利き手の手のひらに固定して、駒を回す場を作る。駒は心棒が鉄製。駒に紐をかけて空中に投げては手前に引っ張り戻して駒を手のひらの蓋に着地させる。遊びは、二つに分かれたグループの追いかけっこで、ルールは一つ、グループの誰かの駒が回っている間は動いてよい。家々に挟まれた路地をぐるぐる回って遊んでいた。
ビー玉遊び(何人でも)
いくつかの遊び方がある。一つは、目の位置からビー玉を足元に落として、相手のビー玉に当てる。当たったら、貰える。
もう一つは、地面に、いくつかの大小の穴をあける。ビー玉を親指と中指で挟み人差し指で弾いてころがし、順番に穴に入れていく。穴に入ると、近くにある相手のビー玉を弾き飛ばすことができる。
??(1:1)
どう呼んでいたのか覚えていない。地面に円を描いて真ん中に直線を引いて、半円を自分の領地とし、残りの半円を相手の領地とする。2人が円の中でじゃんけんをする。勝った人は、負けた人にタッチする。この時、ジャンプしてもよかったと記憶している。負けた人はタッチされないようにすばやく逃げる。じゃんけんに勝ってタッチできたら、足をぐるっと一回転させて小さな円を描き領地を拡げる。タッチできなかったら、相手が小さな円の分だけ領地を拡げる。足でかいた円が数珠のようにつながっていく。タッチされないように逃げ場を拡げるだけでなく、数珠先を相手の領地側へ伸ばして攻めたりしていた。庭でやると、一面円だらけになる。暗くなるまでやっていた。

この他にも、いろいろな遊びをやっていました。何ヶ所かに秘密基地?を作っては皆でたむろしていたり、ときには、あぶない遊び?もやりました。中学生になると、遊びの種類が変わってきました。

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原っぱ

2024 8 1 (art24-0672)
今日も、暑い一日になりそうです。
今朝、早く起きて、カキの木に農薬を散布しました。柿の木は2本、次郎と平核無です。終了時、まだ日が高くなかったので、3本のプルーンの木の高枝を払いました。脚立に乗って行う作業ですから、3本とはいえ、かなり時間がかかりました。終わった時には、日が高くなり、日差しが強くなっていました。汗びっしょりになりましたが、これで、プルーンの木に農薬を散布する準備ができました。

さて、本題です。
石井英夫の著書「日本人の忘れもの」に、ある雑誌の座談会の席での話が載っています。『昭和にはあってが、平成になくなったもの』が話題となり、昭和天皇、肥後守、ちゃぶ台、ガリ版、銭湯、都電など、いくつかの意見があがり、その中の一つに原っぱがあったそうです。原っぱとは、公園で見かける遊具、ブランコ、スベリ台、シーソー、ジャングルジムなど、が何一つ設置されてない、単なる空き地のことです。多くは草が生えています。

原っぱには何もないので、子供たちは必要な空間を占領して自由に遊ぶことができたそうです。遊び方を工夫したり、勝手に創造したりして遊んでいたそうです。こうした原っぱでの遊びは、東京だけの話ではなく、凡夫の田舎でも同様でした。

凡夫が小・中学生の頃(昭和30年代)、子供は原っぱで遊んでいました。東郷湖の近くに大きな原っぱがありました。そこが近所の子供たちの遊び場の一つになっていて、学校が終わると、誰彼ということなく集まって何かしらの遊びに興じていました。これと言った遊びはなかったのですが、しいて種別すれば、野球、陣取り、鬼ごっこ、缶蹴りなどでしょうが、いずれも、”もどき”、です。学年はごちゃまぜで、上級生もいれば下級生もいます。体の大きさもさまざまです。ほとんどの遊びが全員参加で、集まった子供の数や学年構成に応じて遊びの内容やルールが変わりました。また、遅れてやってきた子供も、すぐに参加できました。日が傾き、暗くなるまで遊んでいました。

田舎には、今も、原っぱがあります。休耕地がそれです。家屋の解体跡の更地がそれです。また、何かに使おうと整備された土地が長いこと放って置かれています。至る所に、原っぱがあります。しかし、原っぱで遊んでいる子供の姿を見かけることはありません。今どきの小・中学生は、どこで遊んでいるのでしょうか。

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