本『ヘルメットをかぶった君に会いたい』
2021 11 29 (art21-0393)
寒い上に不安定な天気が続いています。日の大半を屋内で過ごしています。Webで調べものをしたり、韓国ドラマを見たり、本を読んだりしています。本は、もっぱら古い本で、いつかもう一度読もうと本棚に収納していた本です。鴻上尚史の『ヘルメットをかぶった君に会いたい』(集英社、2006年刊)もその一つです。”本書はフィクションであり、実在の個人団体等とは無関係であることをお断りします” と裏書きにありますが、鴻上氏の個人的体験がオーバーラップし、ドキュメンタリー風に話が展開します。
主人公の鴻上は1958年生まれ、一浪 (京都で)して1978年に早稲田大学に入学する。この年の4月にキャンディーズが解散している。入学してみると、学生運動がすっかり消え去り、学校側の巧妙で陰湿な管理だけが残っている、"僕たちの世代は遅れて来た世代とか、シラケ世代とか言われた。高校や大学から、学生運動はほとんどなくなった世代だ" と表現し、”だからこそ、僕は、学生運動に猛烈に憧れた” と続ける。
それから、数十年たち、46歳になった劇作家・演出家の鴻上。
仕事部屋で原稿を書きながら、ふと、つけたテレビの白黒画面(昔の曲を集めたCDを紹介・通信販売する番組)に映し出された、とある美少女に魅了される。画面は早稲田大学のキャンパス。”大講堂前でヘルメットをかぶった彼女は微笑んでいた。彼女は20歳前後に見えた。その映像は30年以上前のもののはずだった。彼女は、もう50歳をこえているはずだ。彼女の笑顔を見るたびに、胸の奥がキュンとした”
そして、現在の彼女に会いたいと切望し、彼女探しが始まる。その後の人生を、そうあってほしいと思う彼女の人生を、アレコレと妄想する。いろいろなつてを辿っては彼女に近づいていく。しかし、彼女には会えなかった。現役の活動家として生きていることが判明する。それでも、いつか年老いた彼女に会える日を夢想しながら話は終わる。
ところで、共産趣味者という言葉が出てきます。これは、共産主義者のダジャレから始まったそうです。「共産趣味者とは、興味半分で学生運動や革命運動のことを知りたがり、あれやこれやと評論したり、面白がったりする人間のことだ」と文中にあります。更に、「共産趣味者は、共産主義の活動を観察するのが趣味の者」とも。
凡夫が大学に入学したのは、1973年です。箱崎キャンパスの大型計算機施設に米軍のファントム機が墜落した(1968年6月)ことから盛り上がった学生運動が尾を引いていたようで、入学時には、まだ、校内がざわつき、活動家に元気がありました。何人かの人と知り合いになりました。
今は分かります。凡夫は、興味本位でそこに居ただけであったと。自分で書いたビラを配り、集会やデモに参加し、三里塚で援農を体験しましたが、全て、個人的な好奇心の赴くままの行動であったと。
干し柿、粉ふき
2021 11 25 (art21-0392)
寒くなってきました。
身体が寒さに慣れていないこの時期は、寒さがこたえます。古い日本家屋は、空気の流れを遮断する構造になっていないため、一度外の冷気が屋内に入ると家の奥まで侵入します。特に、廊下が、空気の通り道になるため、冷えます。外廊下(縁側廊下)の冷えは、その廊下を使わないようにすれば済みますが、内廊下の冷えは、そうはいきません。寝室に使っている部屋から、夜中に、トイレへ行こうと内廊下に出ると、一気に体が冷えます。足早に進んで用をたしますが、すっかり、体は冷えてしまいます。
このところの寒さは身体には困ったものですが、干し柿作りには願ったりでした。今年も、柿の木(渋柿:平核無)が沢山の実をつました。例年通り、家内と収穫してはせっせと皮を剥いて軒先に吊るしました。今年は、里帰り出産で帰省していた娘も手伝ってくれました。
寒い晴れの日がつづき、柿がよく乾燥しました。表面がしっかり乾いた頃から、柿を手で揉みました。揉むことで、内部の果肉が練られて、渋が早く抜けると言われています。
手揉みと脱渋の関係は、河口浩ら (2012年、愛媛大農場報告 34:11-16) の報告にみることができます。渋柿品種の愛宕と富士の皮を剥いて、屋根の軒先に吊るし、毎日夕方、20回均等な力で手揉みを行い、タンニンとエタノール含量を測定したそうです。(柿の渋が抜けるのは、アルコール由来のアセトアルデヒドがタンニンを重合させ、不溶化するからです。不溶性タンニンは、舌の苦み感覚を刺激しません。art18-0072)。実験結果から、手揉みが、果肉内部でのエタノ ール生成を促し、可溶性タンニン含量を減少させていることがわかります。これは、手揉みが、エタノール処理による渋柿の脱渋と同じ機構で、柿の渋抜きを行っていることを示唆します。また、手揉みを行えば、可溶性タンニンが早く不溶化し渋が抜けるので、干し柿が早く仕上がることになります。
ところで、干し柿の表面には白い粉が吹き出ているものですが、今年の干し柿は、例年以上に、白い粉がたくさん吹きました。これも、手揉みの効果の一つと考えられます。
白い粉は、ブドウ糖(グルコース)の結晶です。渋柿にはショ糖(スクロース)がたくさん含まれています。柿を干すことで、このショ糖がインベルターゼという酵素によって加水分解され、ブドウ糖と果糖になります。柿を手で揉むと、表面の被膜からブドウ糖を含む水分が染み出てきます。水が蒸発してブドウ糖が濃縮され結晶を作ります。これが、白い粉状にみえます。このように、柿を揉むことが粉吹きを促進します。
今年は、せっせと、手揉みを行いましたから、見事に、白い粉を吹いてくれました。
本『凍』と、オルカ登頂
2021 11 22 (art21-0391)
先日、登山家夫婦、山野井恭史と妙子の ”オルカ” 初登頂のビデオを観る機会がありました。これは、2008年にNHKテレビで「夫婦で挑んだ 白夜の大岩壁」のタイトルで放送されたものです。"オルカ" とはグリーンランドのミルネ島にある高さ 1,300mの大岩壁のことで、山野井恭史が海の王者シャチにちなんで、"オルカ" と名付けたそうです。登頂日は2007年8月6日です。木本哲氏も同伴しました。
ビデオは、クライミングの様子だけでなく、夫婦の日常生活も映しています。恭史氏には、両手の薬指と小指、右足の全ての指がありません。これは、2002年、標高7,952mのギャチュンカン北壁の登攀で下山中に雪崩にあい、凍傷で失ったものです。また、妙子氏の両手の指はすべてありません。これは、1991年、標高8,481mのヒマラヤ・マカルーの登頂後の下山中に嵐に巻き込まれて、凍傷で第二関節から先を失った上に、ギャチュンカン北壁の登攀時の凍傷で、さらに指の付け根近くまで失ったそうです。また、足の指8本がありません。
夫婦は奥多摩の借家で暮らしています。夫婦の頭の中には登攀のことがデンと鎮座しているようで、日常生活も山登りを基軸にして動いているように見えます。室内の壁一面につけられた無数のホールドにとりついてクライミングのトレーニングしている姿が映し出されていました。これだと、ちょっと気が向い時、直ぐに、ホールドにとりつけますから、山に居るようなものです。
妙子氏は、庭の菜園でとれた野菜を使って料理を作っているようですが、指が無い手で包丁や箸を自在に使っているところを見ると奇妙な感銘を受けます。余談ですが、ズボンを上げるのは大変だとか。
このビデオ視聴に刺激されて、沢木耕太郎のノンフィクション作品「凍」(新潮社、2005年刊)を、本棚から取り出して、あらためて読み直しました。これは、夫婦のギャチュンカン登攀を題材にした作品です。
登頂を終えて下降中、標高7千2百メートル付近で雪崩に襲われ、妙子は50メートルほど滑落してロープで宙づり状態になります。辛うじて一命を取りとめた妙子を救助するため、恭史は懸垂下降します。この時、極度の疲労から視力を失い、目視でハーケンを打つ箇所を特定できなくなります。止む無く、手袋を脱いで素手になり、指先を冷たい岩に這わせて岩の割れ目を探し出し、ハーケンを打ちこみ、それを支点にして下降します。ハーケンを1本打つのに1時間かかり、そして1本を打つたびに指が1本だめになります。左手の小指、左手の薬指、右手の小指、右手の薬指と順番に。どうにか、妙子のところまで降り立ち、2人で下降します。酸素の希薄な高所に5日間もいるのですから疲労は極限状態になり、過酷な下降となります。想像を絶する世界です。その高度では、パルスオキシメーターによる血中の酸素飽和度が50%を切るそうですから、これは、苦しいどころでなく意識障害や昏睡状態に陥り、組織障害も起きます。九死に一生を得て生還した2人ですが、手と足の指の凍傷部は切断することになります。
それから5年目の2007年、夫婦そろってオルカに登頂しました。その様子をNHKのテレビ放送のビデオで観ることができました。1,300mの岩場を登り切り、オルカの山頂に立った山野井夫婦。オルカは、恭史氏に「あー、頂上だね。本当に頂上じゃねえか、まじで」と言わせ、妙子氏に「本当のてっぺんにくるとは思わなかった。・・・、いやー、うれしいな」と言わせました。両手を広げて「ここがてっぺんでーす」と声を出す、うれしそうな妙子氏の顔が印象に残りました。
2人とも、本当に山登りが好きなのですなー。
クワイ、すっかり枯れました
2021 11 18 (art21-0390)
今年の5月、旧苗田にクワイ床をつくりました。深さ40cmの穴を掘り、ブルーシートを敷き詰めて土と水を入れただけの簡単な床です。そこに、近所の農家から分けていただいたクワイの種芋を植え付けました (art21-0342)。クワイは、広く出回っている青クワイではなく、白クワイです。10日ほど経つと、水面から矢じり形の幼葉がでてきました (art21-0345)。
7月の豪雨で一時水没していましたが、水性植物らしく、水没による被害をうけることなく、水が引くと元の姿を見せました。8月、9月と生育は順調でした。この時期、葉の数を増やさないように “葉かき” 作業を行いました。黄変した葉や新葉を地際から摘み取りました。
10月に入ると矢じり形の葉の一部が黄変した葉が目立つようになりました。下旬には、葉色が薄くなり、枯れ葉が多くなってきました。11月に入ると、ますます枯れがひどくなり、緑色を保っている葉は数える程しかありません。
現在、地上部の葉は葉柄を含め地際から全て枯れてしまいました。
残る作業は収穫です。クワイの塊茎はできているのでしょうか。塊茎は地下に伸びたほふく茎の先端にできますから、床の上から見ただけでは塊茎ができているかどうか判定できません。ただ、地際の葉柄を突き抜けて、太いほふく茎が何本か下方に伸びていますから、その先端に大きな塊茎ができているだろうと推測、否、期待しています。しかし、実際どうなっているかは、掘り起こしてみなければ分かりません。
さて、いつ掘り起こしたものやら。地上部が枯れてしまいましたから、いつでもよさそうです。ただ、楽しみは、先送りにした方が長く保てますから、しばらくはこのままにしておくつもりです。
ミニトマト、いつまで(2)
2021 11 15 (art21-0389)
畑に2株のミニトマトを処分せずに残しています。果実がいつまで赤くなるのか知るためで、毎日畑に出ては観察しています。10月は赤い果実がとれました (art21-0382)。11月に入っても、好天が続いたためか、数は少ないのですが、赤いトマトがとれました。食べてみると甘さ少なめであっさりした味でしたが、十分食べられました。
しかし、9日の収穫を最後に、緑色の果実は沢山付いているのですが、いつまでも赤くなりません。理由は気温が急激に下がったからだと思われます。日中の気温は15℃に届かず、夜温は8℃近くまで下がりました。開花してからトマトが赤く熟れるまでに要する日数は、日平均気温の積算値で概算されます。ミニトマトの積算値は800℃です。果実の熟化や赤化は気温の影響をうけやすく、日平均気温が10℃以下では、果実が赤く色づくまで何日もかかることになります。また、気温が下がると葉が枯れてきて株の勢いがなくなります。特に、果実が付いている枝の近くの葉が枯れてきますから、光合成産物が葉から供給されず、甘味の少ないミニトマトになります。
そこで、ビニールシートで囲って、温度を高めることにしました。支柱に結ばれて高く伸長したミニトマトに直接ビニールシートを掛けることができませんから、まず、茎を支柱から外し稲わらを敷いた地上に横たえました。茎葉はごった返し状です。ダンポール(プラスチックの細棒)を円弧形に設置し、その上からビニールシートをかけました。
ビニールシートによる温度の上昇効果は、昨年の小カブの栽培で経験しています。小カブの種を遅く撒いたため、早々に気温が下がり、生育が鈍化しましたので、12月24日にビニールシートを被せました。その後、降雪などで冷え込んだのですが、ビニールシートの中で小カブは予想以上に生育しました (art21-0309、art21-0323)。
さて、ビニールシートの中でミニトマトの果実は赤く色づくでしょうか。これ、どうなるか、ちょっと楽しみです。
本『君は誤解している』
2021 11 11 (art21-0388)
先日、ずっと気になっていた家の外壁ペンキの塗り直しを終え、気が楽になりました。本でも読もうと、本棚をあさり、一冊の本を手にしました。佐藤正午の「君は誤解している」(岩波書店、2000年刊)です。競輪を題材にした短編集です。6つの話から構成されています。競輪にのめり込む主人公と取り巻き連中の話です。のめり方は6人6様で、いずれの話も面白く読めます。
巻末の付録に、競輪になじみのない読者のために、競輪用語が解説されています。これを読んでから本文へ向かうと、競輪レースの文章が具体的なイメージとして把捉できます。そのせいなのか、競技としての競輪もいくらか分かるようになります。
車券を買って ”とった” ” とられた” の一喜一憂だけでなく、競輪レースの展開を予想することも、おもしろい世界のようです。もっとも、予想が的中したから、”とった” と言えるのですが。それでも、予想すること自体に楽しみをみいだす人は、この本の主人公達だけではないと思われます。
競輪予想は出場選手9人のラインを予想することから始まるようです。
ここで、ラインとは:競輪選手は先頭を走る先行型とその後ろをマークする追い込み型に分かれます。9人の選手が出場するレースにおいて、先行型選手が3人いる場合、追い込み型の選手は、たいてい先行型選手に2人づつついて、「先行型‐追い込み型‐追い込み型」の並びが3つできるそうです。この並びをラインと呼び、この並びの各選手は順に、自力、番手、3番手と呼ばれています。1番手、2番手、3番手と呼べば、素人でも分かりやすいのですが、1番手は自力、2番手は番手と呼ばれます。
先行型1人、追い込み型2人しか出ない場合、追い込み型2人の順番(番手か3番手)をどうするか迷いますが、それでも、順列は2通りしかありませんから、選手の強弱と特徴から、なんとか順番を予想できそうです。しかし、3人の先行型選手と6人の追い込み型選手が出場するレースとなると、9人の並びは4320通りありますから、予想するのは大変です。
しかし、ラインの組み方は、基本的に同じ地区でチームを組む傾向があり、また、レース直前に行われる選手紹介で、実際に組まれるライン同士で走ることが決まっているので、そこで、確認できるそうです。
レースでは、選手がラインを組んで整然と並んでゆっくり周回しますが、それは最後の1周半(ジャンが鳴る)までで、それ以降は速度が上がり、個人戦になります。特に、最終周回の4コーナーからの直線は、デッドヒートとなり順序が激しく入れ替わります。駆け引きの極みです。競輪の決まり手(1着2着に入った選手が最終周回でとった戦法)には、「逃げ」「捲り」「差し」「マーク」の4種類があるそうです。
ライン読みと並行して、ゴール直前の駆け引きを予想することが必要です。これは、簡単なことではなさそうです。選手固有の特性や能力だけでなく、その日の心身のコンディションや戦法、更に天候なども考慮して、総合判断することになります。
こう考えると、とても的中する予想ができるとは思えません。この本の主人公のように競輪の読み力や予想能力を授けられたほんの一部の人を別にすれば、競輪に興じている大多数の人はできたと思っている、否、思い込んでいるだけでしょう。実際のところ、サイコロを振って着順を決めているのと五十歩百歩です。主催者とその取り巻き連中は、予想ができる、あるいは、できていると思わせて、おおいに車券を買わせたいのでしょうが。
もっとも、この予想ができそうでできないところに競輪の一つの魅力があるだろうとは思いますが、・・・。
外壁のペンキ塗り
2021 11 8(art21-0387)
このところよい天気がつづいています。前から気になっていた、2階のトタン外壁のペンキ塗りを行いました。
今住んでいる家は築53年になります。業者に言わせると、まだまだ住めるそうです。しかし、あちこちが傷んでいます。その一つは、外壁のトタンです。何度か塗り直しているようですが、傷みが目立ちます。雨に曝されやすい箇所には、ぶつぶつとした腐食がみられます。
トタン外壁の1階部分は、昨年の秋に塗り直したのですが、2階のトタン外壁はそのままになっていました。今回は、ここのペンキ塗りを行いました。
トタン壁のペンキ塗りは、使い勝手のよい塗料製品が市販されていますから、誰でもできます。凡夫は、近くのホームセンターで購入したアサヒペンの塗料を使いました。これは、錆の上からそのまま塗れる油性高耐性のペンキです。塗装業者の塗装は、3回塗り(下塗り/錆止め、中塗り、上塗り)が標準ですが、凡夫の使用したペンキは1回塗りです。耐用年数は劣りますが、塗装前の処理が簡単にできることもあり、素人でも楽に塗れます。
作業
- 表面の汚れを落とす
- 腐食部のぶつぶつや、ペンキの剥がれ部をワイヤーブラシで取り除く
- 塗装したくないところは養生テープでマスキングする。
- 刷毛を用いて隅を塗り、ローラーバケを用いて全面を塗る。
- 乾燥後、養生テープを取り除く。
1階屋根からトタン壁に梯子(脚立を延ばして代用)を掛けての作業ですから、梯子の脚を置く台座を設けました。台座は、コンパネの裏面にゴムシートを張ったものです。台座を瓦屋根に置き、滑り落ちないようにロープで固定しました。また、万一の転落に備えて、腰にロープを巻いて、その端を軒桁の間に渡したロープにとめました。
特に問題もなく塗装を完了しました。トタン外壁の塗り直し、ずーっと気になっていただけに、終えてホッとしています。これで、数年は気にかけることもないでしょう。
体重減少
2021 11 4(art21-0386)
体重が 1kg 程減りました。
急激な体重の減少は気になるものです。特に、減少の原因に思い当たらないときは要注意です。しかし、今回の減少には、思い当たることがあります。他でもなく、間食(3時のおやつ)です。歯周病による歯茎の腫れと痛みがまだ続いているため、間食を控えています。体重は1kg 減のまま維持されていますから、単に、間食を抜いた分の栄養・カロリー摂取が足りないのでしょう。
しかしながら、思うに、老人になると体重が減少するものだと。
田舎では老人の姿をよく見かけます。もっとも、60代後半の凡夫自身も老人なのですが、ここでの老人は70歳以上の男性とします。その老人の多くはスリムです。80歳以上になると、スリムを越して痩せています。近所のW家の90何歳かの老人は、背が高いこともあり、姿は針金状です。それでも、1人でアチコチ散歩されています。まわりの老人を見る限り、老人になると痩せていくのが当たり前のようです。
年齢と体重の関係を調べてみました。Web 検索すると、多数の情報が得られますが、30歳から70歳まで40万人の年齢コホートを6年間追跡調査した論文(桂敏樹ら、2005年、日健医誌 13 (4):3013-13)を引用します。〔調査対象者は、S健康事業財団が管轄する全国の事業所に勤務する従業員で、平成6年から11年までの6年間、各事業所における定期健康診査を毎年継続して受診した者とあります〕
グラフから、50代前半まで増加していた体重は、60代中頃から減少に転じていることが読み取れます。減少幅が年齢とともに増加し、70代中頃から急激に減少しています。
稼ぎ労働から解放されて、365日休日暮らしを行っている凡夫にとって、体重が減少することは、特に問題になりません。ただ、体重の減少に付随して筋肉量が減り体力までなくなると、気力が低下しかねません。これは困ります。毎日休日暮らしの魅力は、やりたいことをやりたいようにできることです。やりたい気力が削がれるようではいけません。
まだ、1kg の体重の減少ですから、体力が落ち、やりたい気力が減退したとは感じていません。が、元の体重に戻そうと3時のおやつをとることにしました。歯周病による歯茎の痛みはありますが。
高齢者の体重減少に関して、入れ歯が合わない、口内炎がある、歯や歯茎が痛い、などの口内のトラブルのために食事量が減り、それが恒常化することで体重の減少につながり体が弱っていくことが結構あるそうです。そうなると何かをやろうとする気力までなくします。実感として、よく分かります。
干し柿 (2021年)
2021 11 1(art21-0385)
今年も、干し柿を作っています。柿は、渋柿品種の “平核無” です。柿の木は1本ですが、毎年、300-500個の果実がなります。今年は、500個以上の果実がつきました。果皮全体が橙色に色付いたものから順に収穫し、家に持ち帰り、皮を剥いで軒先に吊るしています。今年の柿は、間引き摘果が不十分だったようで、果実の数は多いのですが、その分、小型です。吊るし紐あたり7個の果実をぶら下げるようにしていますが、今年は、柿が小さく、隙き隙きです。
我が家では、干し柿をよく食べます。一年中食べています。完成した干し柿を小分けにして冷凍保存していますから、いつでも食べることができます。家内は冷凍庫から取り出した干し柿を室温にもどして食べていますが、凡夫は、水に曝して電子レンジにかけ、柔らかくして食べます。
干し柿作りの作業をしながら、前年の干し柿を食べていると言った按配です。
今年は、晴れ間が多く、気温と湿度が低いので、干し柿作りのトラブル、カビの発生、はなさそうです。軒下には、多くの柿がぶら下がっています。柿の木にはまだ果実が沢山成っていますから、干し柿作りは続きます。そのうち、2階の出窓も、吊るした柿で覆われることでしょう。
秋の我が家の風物です。
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