今日も、"ようこそ"      

今日も、"ようこそ"

定年退職後、横浜市から湯梨浜町 (鳥取県) に転居しました。 ここには、両親が建てた古い家が残っています。 徒歩5分で東郷池, 自転車15分で日本海です。 また、はわい温泉の温水が各家庭まで届き、自宅温泉を楽しめます。 ブログでも始めようかと、HPを立ち上げました。最近始めた木工工作と古くなった家のリフォームの様子を、田舎の日常に織り交ぜながら、お伝え出来ればと思います。

[家内の寄稿]
就寝8時

2018 08 31 (art18-0053) 
30歳になる娘が「私はなぜ、毎日ちゃんと8時に寝ていたのかな」と聞きました。娘が幼稚園生の時、父親が時計の8のところに紙に矢印を書いて貼り付けました。「小さい針がここにきたら寝るんだよ」と娘に言いました。その日からずっと中学生になるまでそれが自然のことでした。長男が生まれてからも。子どもには大晦日も特別な日も無いと365日就寝8時でした。子どもの夕食6時、就寝8時に励みました。

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カマキリ

2018 08 30 (art18-0052) 
プルーンの木の葉上で、チャドクガの幼虫を捕食しているカマキリに出会いました。鎌状の前脚でチャドクガの幼虫をしっかり捕まえています。カメラを近づけると、顔をこちらに向けてくれました。逆三角形の頭に大きな複眼と小さな黒点、とても愛嬌があります。

黒点は、ちっちゃな黒目にみえますが、黒目ではなく偽瞳孔と呼ばれているものです。目は、頭の両端についている緑色の楕円状の部分です。これは、複眼で、2-3万個の筒状の個眼が集合したものです。黒点は、いつも、観察者の方に向いているように見えます。
黒点に見えるのは、光を反射しない個眼の奥の眼底部を見通しているからです。この眼底部が見通せる個眼は、観察者の視線の先にある個眼のみです。周辺の個眼の眼底部は見通せず、光が途中で反射して緑色にみえます。こうして、緑色のなかに、絶えず観察者の方を向いた黒点が浮かび上がります。

食事の邪魔をしないように、数枚の写真を撮って、その場を離れました。チャドクガの天敵は、カマキリ、クモ、狩バチと言われていますが、実際の捕食シーンを見たのは初めてです。

カマキリの共食い。カマキリのオスは、交尾後、メスに食べられると言われています。オスを食べたメスからより多くの子供が生まれることが知られています。オスの交尾が、生涯で、一度限りであれば、話しは簡単です。オスはメスに食べられることで、自分の子孫と遺伝子をより多く残すことができます。しかし、オスは、生涯に、複数回の交尾ができるようなので、話しは複雑になります。最初の交尾でメスに食べられることが、自分の子孫と遺伝子を多く残す為の戦略として、ベストとは限りません。何度目の交尾で、メスに食べられるべきか、オスの悩むところです。一方、メスは、容赦なく、交尾のオスに襲い掛かってきますから、オスはメスから、必死で、逃げなければなりません。そうしないと、別のメスとの交尾の機会が持てません。

カマキリは4-5月に孵化し、脱皮を繰り返して8齢で成虫になります。この間、2ヶ月弱です。10月ー12月には死んでしまいますから、成虫になって数ヶ月が交尾期間です。メスとの出会いの確率を正しく予測しなければなりません。逆三角形の頭を傾けながら、カマキリのオスは、今日も、メスとの出会いを計算し、何度目の交尾でメスに食べられるべきか、思案しているのでしょう。オスは、オスなりに、たいへんです。(追記:写真のカマキリはメスです)

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くらよし大市 (フリーマーケット)

2018 08 27 (art18-0051) 
強い日差しの昨日、くらよし大市に出かけました。会場は、倉吉パークスクエアの「ふれあい広場」です。倉吉パークスクエアは宮川町ロータリー(交差点)傍の一画にある総合文化施設です。市民ホール(未来中心)、鳥取二十世紀梨記念館(なしっこ館)、倉吉交流プラザ、市立図書館などが集まっています。

未来中心の建物は、異彩を放っています。設計者を調べたところ、アルゼンチン出身のアメリカの建築家、シーサー・ぺリとありました。“あべのハルカス” や “国立国際美術館” をてがけた人です。納得。

くらよし大市の出店数は150ほど。扱っている物は、女性や子供の衣服と日用雑貨が多い。中には、骨董品らしきものもある。古道具を探してみましたが、残念ながら見当たりませんでした。家内は、いろいろ物色して、スヌーピー柄のプレートを購入しました。
登録すれば誰でも出店できます。出店料はレジャーシート一枚(2.6mx1.7m)で500円。一店二枚までだそうです。

骨董市に興味をもつようになったのは、最近のことです。定年退職後の京都暮らしからです。京都では、大きな骨董市が開催されています。家内と ”弘法市” と ”天神市” に出かけ、はまってしまいました。

弘法市は、弘法大師の命日3月21日にちなんで、毎月21日に東寺の境内で開かれます。境内全域が会場になります。骨董品、古道具、古美術、衣類、食べ物、植木が並びます。総出店数 1,200のうち、150店ほどが骨董品を扱っています。土地柄からか、仏具の中古品も多数あります。生家の仏壇のちょっとした部品が破損し、交換部品をさがしたところ、代用できそうなものが手に入りました。
家内も凡夫も、あれこれ物色するだけで、結局、何も買わないことが多いのですが、東寺へ行くたびに必ず買うものがあります。それは東寺餅です。慶賀門前の大宮通のちょっと北側にある“東寺餅屋”の餅です。いつ食べても、「うまい、うまい」の連発です。

天神市は、毎月25日に、北野天満宮で開催されます。菅原道真公の誕生日(6月25日)と命日(2月25日)にちなんで25日です。1,000以上の店が境内だけでなく、外の通りまで立ち並びます。今出川通のバス停近くの ”一の鳥居” から ”楼門” に伸びる参道には、主に縁日特有の食べ物屋が並びます。骨董品、古道具、古美術、衣類の出店は、境内の東側の駐車場エリア(南北に細長い)と東門前の御前通(こちらも、南北に通っている。駐車場エリアと並走している)に並びます。駐車場エリアには、衣類、特に、中古着物の展示が目立ちます。御前通りには、骨董品、古道具を陳列した店が多く見られます。
お店巡りに疲れたら、境内の東門傍の甘味処に入ります。お茶をいただきながら、“長五郎餅” を口にして、一休みします。ここの餅も、なかなかのものです。

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カキノヘタムシガの幼虫

2018 08 24 (art18-0050) 
柿の木につく代表的な害虫は、イラガとヘタムシと言われています。

イラガは、幼虫が6-7月と8-9月に発生し、葉を食べます。2回目の幼虫は、一回目の幼虫が蛹となり、羽化した成虫が産んだ卵から孵化した幼虫です。イラガによる葉の食害は、目につきやすいものです。食害された葉には幼虫がいます(イラガ art18-0027)。

一方、ヘタムシ(ヘタムシガの幼虫)の姿を見る機会はあまりありません。ヘタムシの被害は、果実の落下です。発生期は6-9月です。ヘタムシが、カキのヘタの隙間から侵入し、果肉を食べて、実を落下させます。落下は、ヘタを残しての落下で、生理落下と区別されます(生理落下は、果硬/花柄とヘタとの接点に形成される離層によって起こるので、ヘタ付き落下となる)。

畑の奥の方に、2本の柿の木があります。その一本、種なし西条、に幼果がたくさんついています。まだ緑色の幼果に混じって、赤茶に変色したものが2個ありました。ヘタ部をみると、排泄された虫糞がヘタとの隙間についています。芋虫が中に侵入しているようです。ヘタを外してみると、茶褐色の芋虫がいました。ヘタムシです。頭を隠しています。ちょっと、いじって、出て来てもらいました。なかなか、立派な姿です。4齢虫あたりでしょうか。

新芽に産み付けられた卵から孵化したヘタムシは、3齢虫になると芽から果実へ移動します。1~5個の柿の実を食害し、5齢虫になるとヘタに繭をつくって蛹になります。

収穫前の果実がボタボタ落ちるところを見るのは、気分のよいものではありません。6月上旬と8月上旬に農薬を散布しました。

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ニホンアマガエル

2018 08 21 (art18-0049) 
雨の降った翌日、畑のピーマンの葉にニホンアマガエルがいました。背中側は黄緑色で、腹側は白色です。鼻筋から目、耳にかけて褐色の帯が通っています。
ニホンアマガエルは、雨が降りそうになると鳴くと言われています。ただし、鳴くのはオスです。繁殖期間が非常に長く、田植えに備えて田に水が入るとすぐに始まり、7月の中旬まで続きます。ニホンアマガエルの寿命は、3-5年と言われています。

庭のアジサイの葉にも、ニホンアマガエルがいました。黄緑色の背中に、シルバーグレイ色のペンキを一筆塗ったような体色をしていました。これまで、背中全体が、まだら模様の灰褐色や明るい土色のニホンアマガエルを見たことがあります。これは保護色(背景に似せた体色、生態防御法の一つ)です。しかし、背中の一部がくっきりとシルバーグレイに変色したニホンアマガエルをみたのは初めてです。

初めてのカエルと言えば、まだ幼少のころ、奇妙なカエルをみたことがあります。
我が家の梨畑は “シイヤマ” の奥の方にあります。今は、面倒を見る人もなく、荒れるにまかせて20年程経ちますから、かつての梨畑の様相は全くありませんが。今でこそ、梨畑まで車の通れる林道が続いていますが、凡夫が幼少の頃は、車道はありません。東郷池をポンポン舟で横断し、対岸の船着き場から続く細い道を登って梨畑に行きました。最初の急な坂道を登り切ったところに、“水飲み場” と呼ばれていた清水が溜まる、ちょっとした窪みがありました。窪みは、周囲の草木に厚く覆われていました。
奇妙なカエルを見たのは、その ”水飲み場” に水を汲みに行った時です。カエルは、窪みの淵にじっとしていました。体色は明るい茶色で、形状は薄いマッチ箱のように四角ばっていました。幼少の凡夫は、水を汲むことができず、引き返しました。
後年、カエルの図鑑で調べてみました。体色と生息分布、そして生息環境から推測すると、ヤマアカガエルのように思えます。しかし形状が違いました。いろいろと遊んできたカエルの形状とは、別物です。見間違えや記憶違いの可能性もあります。が、「今もって、そのカエルの正体は不明」、ということにしておきます。

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第18回 東郷湖ドラゴンカヌー大会

2018 08 19 (art18-0048) 
ドラゴンカヌー競技がどんなものか、皆で、見学に出かけました。

ドラゴンカヌー競技は、中国で生まれた世界最古の手漕ぎ舟の競漕と言われています。東郷湖では、2001年に第一回大会が開催され、今年は、第18回大会になります。毎年、8月に開催され、今年は19日でした。競技は、南谷の夢広場前の湖面で行われます。

舟(全長10.95m、全幅1.13m)の乗り手は、10名(太鼓手1名、漕ぎ手8名、舵取り1名)です。太鼓手は舟の前部に置かれた大きな太鼓の前に立ち、太鼓をリズミカルに打ちます。漕ぎ手は、太鼓のリズムに合わせて櫂を操作することで、漕ぐタイミングを合わせます。舵取りは、舟の後部で、舵を操作します。競技は全長300mのコースで行われます。男子、女子、中学生、および、混成チームに分かれて競います。

太鼓のリズム音と掛け声が、湖面から聞こえ、龍の頭と尾で装飾された舟(ドラゴンカヌー)が護岸と並行に疾走しました。かなり速度がでています。しかし、競技を楽しめませんでした。舟数が2競技セットしかなく、スタートと次のスタート間が長く、随分間延びした進行でした。観客も、応援する人もいません。地元から観戦に来ている人はいないようです。また、競技者間の声援もほとんどなく、盛り上がりに欠けるものでした。他所の人が、ここで、勝手に装飾カヌーを漕いでいるといったものでした。楽しみにしていたのですが、早々に帰りました。

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ホオズキカメムシ (夏野菜の栽培)

2018 08 18 (art18-0047) 
ホオズキカメムシがピーマンの茎に群がっていました。近づくと、茎の後ろ側に一斉に移動します。更に近づくと、一斉に離散します。この時、カメムシ特有の臭いを残します。臭いは、外敵への防御の他に、仲間への警報の役割があると言われています。臭いを感知して各個体が回避行動をとるため、ホオズキカメムシの群れ全体が回避行動を同時にとっているように見えます。

カメムシは自分の臭いで失神するそうです(「トリビアの泉」でTV放映)。小さな容器に閉じ込められたカメムシが、天敵のカマキリに反応し、自分が出した臭いで、ひっくり返って動かなくなった姿を紹介しています。臭腺から出される臭い(油状の液体)にアルデヒドが含まれているからだそうです。官能基のアルデヒド基(ホルミル基)は反応性が高く、様々な生体高分子と付加体を形成することができるため、強い毒性を示します。

ピーマンの葉の裏側にホオズキカメムシの卵が16個ありました。小粒ながら、琥珀のように輝いています。10日間前後で孵化し、幼虫は5回の脱皮を繰り返して成虫になります。

ホオズキカメムシは、集団で、茎から吸汁します。新芽が萎れたり枝の生育が低下します。株が全滅するようなことはないのですが、一応、ピーマンの害虫とされています。

農薬散布はできませんので、捕殺しました。形状に似合わず動きが素早く、捕捉に手間取りました。

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コブフウセンウオとミズヒキガニ

2018 08 16 (art18-0046) 
鳥取空港のすぐ近くに、賀露カニッコ館があります。施設案内にはこう記述されています。「カニを中心にさまざまな水性生物を展示・紹介する施設です。見て、触れて、体験して、鳥取県の魅力を感じてください」と。無料の小型の水族館です。
「かろいち」で買い物をした後、立ち寄ってみました。ここは、いつ入っても、驚きがあります。今回も、興味深い生き物に遭遇しました。2つだけ、ここで、紹介します。

コブフウセンウオ
腹鰭の吸盤でモノにくっ付くダンゴウオ科に属する魚の一種です。水深100mの冷たい海で暮らしている。風船のように、丸っこい体をしている。どこかにくっ付いて、微動だにしません。小さな置物? 姿の愛らしさもあって、人気者だそうです。
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ミズヒキガニ
鳥取県の沖合水深100 mで採集された。針金のような細長い脚をもつ。洋ナシ型の甲に長い眼柄が付く。4番目の歩脚が短く、上にあげている姿が、水引に似ているとか(名前の由来)。クモか、絡んだ糸くずに見えます。
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米ナス (夏野菜の栽培)

2018 08 15 (art18-0045) 
夏野菜の栽培も、終局に近づいています。キュウリ、ナス、ピーマン、トマトと、いずれも、毎日収穫できるほど、たくさんの実をつけてきました。しかし、それも、終わりそうです。連日の日照りで、土壌が乾き、キュウリ、ナス、ピーマンには、水やりが欠かせませんでした。畑の近くの小川から、大型のポリバケツに水を汲み、畑に運びました。

4株のナスのうち1株は米ナスです。7月にまるまると太った米ナスを収穫しました。その後、しばらくして、再び、花をつけ、実が形成されました。ぐんぐん、大きくなり、数個の米ナスが収穫できました。米ナスの形状は、太くて短い卵形です。へたと表皮がどちらも濃紫色の普通のナスと違って、米ナスは、へたが緑で、表皮の濃紫色と際立っています。

輪切りにして、プライパンで焼いた米ナスが、食卓の一皿となりました。生姜醤油をつけて食べました。肉厚で柔らかく、しかも、ジューシーな味わいです。

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ハワイ海水浴場

2018 08 13 (art18-0044) 
あちこちの路地で、子供の声が聞こえます。盆の帰省で、遠くに住む息子・娘夫婦が子供を連れて来ているのでしょう。あわせて、県外ナンバーの車をよく目にするようになりました。“ハワイゆ~たうん”の駐車場にも、県外車が大半を占めています。

ハワイ海水浴場も賑わっているだろうと、久しぶりに出かけてみました。凡夫は、子供が小さい頃は、帰省の度に、子供といっしょに海水浴を楽しみましたが、子供が大きくなるにつれ、足が遠のいています。

ハワイ海水浴場は、湯梨浜町の橋津海岸(国道9号線沿い)にある海水浴場です。市町村合併前の羽合町のころから、町名にあやかって、ハワイ海水浴場(あるいは、ハワイビーチ)と呼ばれていました。

白い砂浜に、2軒の海の家が、海に面して建っています。海の家の裏側、国道から少し下がった砂浜に駐車場が整備され、多数の車が駐車しています。多くは県外ナンバーです。海の家には家族連れが寛いでいます。海の家の前には色とりどりのテントが並び、その中から母親は子供を見守っています。小さな子供は、波うち際で海水とたわむれ、大きな子供は、海中で手足をバタバタさせています。浮き輪につかまって、波に体をまかせている子供もいます。皆、楽しそうです。

砂浜の形状が記憶のものと違います。岩場の西側の砂浜が、随分、えぐられています。砂の流出を防ぐ為に、消波ブロックが、沖に向かって、あるいは、砂浜と並行に、設置されています。しかし、限界があるのでしょう。変化と言えば、4,5軒はあった海の家が2軒になっています。その分、テントが増えました。

変わらないのは、子供たちの歓声と笑い声、そして、海の青さと透明感です。

凡夫が子供の頃、夏になると、毎日、泳ぎに行きました。当時は、親が同伴することはなく、子供だけで泳いでいました。そう、泳いでいたのです。海水とたわむれているのではなく、遠泳や魚を取っていました。水中メガネをつけて、海中に潜り、手製のヤスや水中鉄砲で、子魚を突いていました。ヤスは、3又の金属のヤス先を竹棒の先端に固定し、反対の端にゴムをつけたものです。ゴムの弾力を利用して魚を突きます。水中鉄砲は、竹棒に溝をほり、先端を尖らせた鋼鉄の棒を通します。鋼鉄棒の反対の端を直角に曲げ、竹の切込みに引っ掛かるようにします。直角に曲げた鋼鉄棒の端にゴムの端を固定し、もう一方の端を竹の先端に固定します。鋼鉄棒を引いて(ゴムを伸ばし)、鋼鉄棒の直角端を竹の切込みに引っ掛けます。発射する時は、人差し指で、鋼鉄棒の直角端を切込みからはずします。

夏が終わり、学校が始まると、皆、真っ黒でした。

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チャドクガとモンクロシャチホコの幼虫

2018 08 12 (art18-0043) 
畑の野菜区域の奥に、シュガープルーンの木が2本あります。10年ほど前に、ホームセンターで購入した苗木を定植したものです。その時、サクランボの苗木も定植したのですが、こちらは、野菜の栽培スペースを作るために、掘り起こして処分しました。

転居早々、ほったらかし状態のプルーンの木に手を加え、枝ぶりを整理しました。と言っても、縦方向に伸びっぱなしの樹形を、どうあがいても、横方向に広げることは出来ません。手遅れでした。それでも、実が付きました。そして、虫も、付きました。

虫は、チャドクガの幼虫とモンクロシャチホコの幼虫です。

チャドクガの幼虫は、チャノキやツバキなどのツバキ科の植物の葉を食害することで知られていますが、柿や梅の葉も食べます。体表の毒針毛中にヒスタミン等の毒をもちます。6回の脱皮を経て、蛹になりますが、脱皮殻に毒針毛が残るそうです。抜け殻とは言え、取扱いには細心の注意が必要です。もっとも、素手で触りたくなるような形状ではありませんが。

モンクロシャチホコは、サクラ、ウメ、リンゴなどバラ科樹木の葉を食害します。桜毛虫として知られています。幼虫は赤褐色です。この体色は、老熟すると黒色になるそうです。集団でいる姿は、あまり気持ちのよいものではありません。

プルーンの木は、夏野菜の傍にありますから、農薬を散布して退治することはできません。どうしたものかと思案しています。とりあえず、幼虫を見つけては、片付けています。

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キス釣り

2018 08 10 (art18-0042) 
今日は、曇り空でしたので、朝食を済ませて、キス釣りに出かけました。キス釣りは、久しぶりです。子供がまだ小さい時に、何度か、キス釣りをしました。キスは、誰にでも釣れますから、子供でも楽しめます。

まだ、小型だろうと予想していましたが、案の状、小型でした。体長12-13cmです。2時間で、16匹の釣果です。持ち帰り、家内に天ぷらと素揚げにしてもらいました。昼食の一皿です。小型ながら、実が柔らかく、なかなかのものでした。家内と、小さく舌鼓を打ちました。

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ユスリカの幼虫

2018 08 09 (art18-0041) 
トノサマガエルが住みついた石臼の水たまりには、蚊の幼虫(ボウフラ)と蛹が多数みられます。蛹(オニボウフラと言う)は、遠目にはタマネギの種(2-3mmの黒い粒)が水面に浮かんでいるように見えます。刺激を与えると、屈伸しながら水中に潜ります。数日すると羽化し成虫になります。

石臼の底面を掬い網ですくうと、赤色のユスリカの幼虫がとれます。名前の由来は、幼虫が水底で、泥から体を出してゆらゆら揺れていることからきているそうです。ユスリカも、蚊と同様に、卵=>幼虫=>蛹=>成虫、と完全変態します。しかし、蚊と違って、ユスリカの成虫は、人を刺して吸血することはありません。

ユスリカの幼虫は、釣り餌のアカムシとして知られています。アカムシを数匹、メダカの水槽にはなしました。メダカは、先日、近くの小川で捕獲してきたものです。メダカにとって、アカムシは、サイズが大きく、一口で食べることはできないようです。アカムシの端に喰いつこうとするのですが、アカムシが体をひねるので、なかなかうまくいきません。何度か、試みて、どうにか、喰いつきます。口から飛び出たアカムシは徐々に呑み込まれていきます。メダカの水槽には、金魚の稚魚がいます。こちらも、アカムシを食べるのにてこずっています。
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高校野球選手権

2018 08 06 (art18-0040) 
昨日(5日)から、甲子園球場で高校野球選手権が始まりました。今回は、第100回記念大会とのことです。参加校数 2781、出場代表校数 56。

鳥取県の代表は、鳥取城北高校。3年ぶり5回目とのこと。部員数135名。選手の多くは、県外出身と聞きますが、県内で生活している以上県の代表です。鳥取城北高校は、倉吉西(一回戦、9-1)、鳥取東(2回戦、7-0)、八頭(3回戦、8-3)、鳥取西(4回戦・準決勝、15-6)、米子西(5回戦・決勝、8-0)と対戦しました。第7日目(8月11日)の第一試合で、京都府代表の龍谷大平安と戦うことになっています。

鳥取大会では、倉吉東と倉吉西に注目していました。2回戦を勝ち進んだとき、家内と予定を立てました。3回戦で、東、西ともに勝ち進み、東と西の試合があれば、鳥取球場まで、足を運んで、観戦しようと。しかし、残念ながら、東は、3回戦で、米子西に1-9で敗れました。しかし、西は、米子工を9-8で下しました。再び相談し、予定通り、球場へ出かけることにしました。
米子西との準決勝は、2時に開始されました。太陽が照り付ける炎天下での試合でした。バックネットの後方、投球と打撃がよく見えるところに席を取り、観戦しました。結果は、倉吉西の負けでした(6-10)。また、アルプス席での応援合戦も、倉吉西の負けです。
すぐそばの席に数名の鳥取城北の選手が陣取り、両校投手の投球データを取っていたのは印象的でした。

倉吉西を下した米子西は、翌日、鳥取城北に0-8で敗れました。
ちなみに、凡夫の高校(中途退学で、卒業していませんが)、米子高専は、1回戦で米子工業と戦い、0-7(7回コールド)で、負けています。

球場での試合観戦は、良いものです。京都に住んでいた時、甲子園に2度、足を運びました。1度目は、2016年1回戦、境―明徳義塾(2-7)、2度目は、2017年決勝戦、広陵―花咲徳栄(4-14)です。この時は、花咲徳栄のアルプス席にいました。ブラスバンドの音響と応援団の声援の渦中です。終わってみれば、優勝した高校の応援席にいたことになりました。貴重な体験です。

凡夫は、野球をやったことはありません。ソフトボールは、よくやりました。特に、六本松(当時、九大の教養課程は六本松のキャンパスで履修し、専門課程は箱崎・馬出地区の専門キャンパスで学んでいました)では、毎日のようにやっていました。皆で、グローブ、バット等の道具を持って、埃まみれのまま、運動広場横の講義室に入っていくと、「君たちは、何しに、ここに来ているのかね」と、教壇から声がかかりました。

数年たち、研究所の同僚と、バッティングセンターに行きました。ちょっと、自信があったのですが、結果は、最悪でした。ひとつも、かすりもしませんでした。振り遅れです。
かつてのソフトボール時の感覚で、近くに来るまで球を目で追い、バットを振り始めていました。おそらく、凡夫のバットスイングの速度では、機械から球が発射された時に、バットを振り始めなければ、間に合わないのでしょう。しかし、これでは、どこに飛んでくるかわからないまま、バットを振ることになります。高校球児のスイング速度は凡夫よりはるかに速い筈です。しかし、それでも、目視した寸後に、球を叩くことはできません。球の軌道を予測して、バットに当てることになります。バットをスイングする身体能力だけですむことではなく、球の軌道を読むと言う頭脳能力が必要です。しかも、バッティングセンターの機械から発射される球と異なり、試合の球は、球の速度の緩急に、軌道の変化も加わります。一球ごとに、異なって。甲子園で、バッターボックスに立つ凡夫は、間違いなく、三振、三振、三振です。目の前の、ヒットを打てる高校球児に感服するばかりです。
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ハワイゆ~たうん (温泉施設)

2018 08 04 (art18-0039) 
上浅津の船着き場から湖岸道路を挟んで、温泉施設、”ハワイゆ~たうん”、があります。1993年(平成5年)にオープンしました。当時は市町村の合併前で、施設名に羽合町の “ハワイ” が付いています。湯は天然温泉です。凡夫も、何度か入りました。ガラス張りの高い天井、また、大きな浴槽。ゆったりとした開放感に浸ることができます。また、浴槽は3つで、浅い浴槽があります。施設の前を通ると、子供連れの家族が自家用車から降りてくる姿をよく目にします。夏になると、駐車場には県外ナンバーの車が多くなります。この数年の年間入浴者数は、6-7万人だそうです。倅も、こちらに帰省すると、自宅温泉風呂には入いらず、”ゆ~たうん” で一風呂浴びてきます。

施設の利用
 大人 360円 小人 210円 幼児 100円 (回数券あり)
 営業時間 9:00 ~21:00 
 (第4木曜日は定休日、その他の木曜日は、17:00~21:00)
 駐車場あり(30台)

凡夫が子供の時には、”ハワイゆ~たうん” の場所に梨の選果所がありました。現在の船着き場から西側に入り込んで、”ハワイゆ~たうん” の前、そして、西側の公園を含む一帯が、当時の船着き場であり、多数の船が停泊していました。梨は、船着き場からみて北東の宇野地区、東の宮内地区の丘陵地で栽培されていました。東郷池の沿岸道路がつく前の話ですから、収穫された梨は、小舟で運んでいました。

小舟といっても、大層な発動機を備えていました。発動機を始動させることは、子供にとって、大きな挑戦でした。左手でシリンダー内の圧縮空気を開放させるバルブを引いて、右手でフライホイール(弾み車)を勢いよくまわし、バルブを離すと、ポン、ボン、ポンと間延びした排気音をたてて始動します。そして、ポ、ポ、ポと音が連なり高速回転へ移行します。バルブを離す寸前にフライホイールを回す右手に力を加えます。子供にとって、フライホイールは、ばかに重く、両者のタイミングを合わせることは難事で、ポン、ボン、ポンと、発動機がかかった時は、大いに興奮したものです。
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アルミサッシ網戸の取り付け

2018 08 01 (art18-0038) 
母屋の西側の窓に網戸を付けました。ここの網戸は、数年前に壊れた後、そのままになっていました。家内の希望で、修理することにしました。

納屋の2階の工作部屋は、暑くて、工作どころではありませんので、納屋と母屋の間のスペースに作業台を設けました。ここは、日陰になり、かつ、風の通りがよい場所です。このところの猛暑日でも、午前中は、工作作業ができます。

古いアルミ製の網戸枠がありましたから、それを切断して使うことにしました。

作業工程
1.窓の高さに合わせて、縦方向のアルミ枠を切断する。
 (切断には、ジグソーを用いました)
2.横方向の枠と直角に接合できるように、ネジ穴とレール溝を加工する。
 (加工には、鉄鋸、電動ドライバー、やすりを用いました)
3.横枠と縦枠を接合し、4mm のタッピングネジで固定する。
4.網戸を張る。
5.窓に取り付ける。

4の工程、網戸を張る作業は、家内が担当しました。夏前に、古くなった網戸を張り替えましたが、その時、家内は、随分、経験をつみました。

これで、家内の希望通り、夕方の西風を取り込むことができるでしょう。
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